2012年10月24日(水) 12:00
チャンピオンズデイが終了した欧州では、今季の芝平地シーズンがほぼ終戦モードに入り、来週末にブリーダーズCを控える北米でも、今季の終わりが見えてきたこの時期、競馬の世界も野球で言うところの「ストーブリーグ」に突入する。
ストーブリーグと言えば、話題の中心となるのが「来季へ向けた人事」だが、そんな折り、欧州から騎手の人事に関する大きなニュースが飛びこんで来た。
シェイク・モハメドの競馬組織ゴドルフィンが、フランキー・デトーリ(41歳)との騎乗契約を更新しないと発表したのである。フランキーがシェイク・モハメドやゴドルフィンの主戦に指名されたのは、フランキーが22歳だった1993年のシーズン終盤だったから、両者の雇用関係は足かけ20年に及ぶ。
翌1994年にフランキーは年間233勝を挙げて、自身初のリーディングを獲得。この年、ゴドルフィンが所有するバランチーンに騎乗して英オークスや愛オークスを制するなど、世界の競馬サークルを代表するオーナーブリーダーと、天才の名を欲しいままにした敏腕ジョッキーが結成したユニットは、多くの関係者が予測した通りの大きな成果を上げることになった。
以降、シェイク・モハメド(ゴドルフィン)/フランキー・デトーリのコンビは、ラムタラ、スウェイン、マークオヴエスティーム、ホーリング、デイラミなど、数々の名馬を世に送り出し、90年代の世界の競馬を席巻したと言っても過言ではなかった。
日本でも、1996年のジャパンCにシングスピールに騎乗して参戦。松永幹夫騎手の乗るファビュラスラフインとの競り合いをハナ差制して優勝を飾った光景を、今もフレッシュな記憶として留めているファンが多数いるはずだ。
ゴドルフィンとフランキーのコンビが頂点を極めたのが、2000年の春だった。ゴドルフィンが所有しフランキーが騎乗するドバイミレニアムが、ドバイワールドCを6馬身差で圧勝。ゴールの瞬間、シェイク・モハメドが手にしていたレープロを中空に高々と放り投げた光景は、世界の競馬における名シーンとして語り継がれている。
2000年6月2日、フランキーの乗った小型飛行機が墜落。奇跡的に命拾いをしたフランキーを、シェイク・モハメドが病院に見舞うなど、両者の信頼関係は公私の垣根を越えて密接なものとなっていた。
今世紀を迎えて、そんな両者の間が険悪になったとか、疎遠になったとか、そういう事態が起きたわけではなかった。問題があったとすれば、それはゴドルフィン所属馬の不振で、これだけの組織ゆえ散発的にA級馬は出ていたものの、90年代のように世界各国のメジャーレースを勝ちまくる、というわけにはいかなくなった。
2007年の英ダービーでは、ゴドルフィンからイースタンアンセムという出走馬がいたにも関わらず(最終的には出走取り消し)、シェイク・モハメドはフランキーが、本命視されていたオーソライズドに騎乗することを許可。オーソライズドは見事に勝利し、フランキーは悲願のダービー制覇を果たすことになった。
ここ数年で大きな発展を遂げたのが、ドバイにおける春の競馬カーニヴァルだ。1月半ばから3月末まで、フランキーはドバイを本拠地とするようになり、2008年から3年連続で開催リーディングを獲得したのだが、これがフランキーにとって、それほど快適な環境ではなかったようだ。シーズンオフが半ば消滅。家族と過ごす時間がなくなってしまったことが、フランキーにとってジレンマとなっていった。
今年2月22日、ゴドルフィンは若手騎手のシルヴェスター・デソーサと騎乗契約を締結。さらにその1週間後の3月2日、同じく若手のミケル・バルザローナともゴドルフィンは騎乗契約を結んだ。それも、2人の扱いはフランキーの「控え」ではなく、2012年のゴドルフィンが3人の騎手に平等に騎乗馬を廻す方針であることが明らかになって、周囲はおおいに驚くことになった。
フランキー・デトーリにとって、シェイク・モハメドが今も絶大なる信用を置くボスであることに変わりはないのだが、一方で「潮時」を意識しはじめていたことも確かだったようだ。10月7日の凱旋門賞で、ゴドルフィンにとってライバルであるクールモアグループから出されたキャメロット(牡3)への騎乗依頼を受諾した段階で、すでにフランキーの心は決まっていたと思う。
2013年のフランキーは、フリーランスとして騎乗することになる模様だ。大レースには複数の所有馬を送りこむことの多いクールモアとコンビを組む機会は一気に増すであろうし、その一方で、スポット的にゴドルフィンの所有馬に乗ることもありそうだ。
ゴドルフィンとの契約が切れることを、バックグラウンドを失ったと見るよりは、足かせが外れたと見る関係者やファンが多いようで、英国のブックメーカー各社は今回のニュースを受け、フランキーが2013年にリーディングを獲得するという事象に対するオッズを、軒並み大幅に下げることになった。
また、フランキーが短期免許を取得して日本で乗る可能性も、これまでよりは大きくなったと言えそうである。
稀代の天才が、環境が変わった中でどんな手綱さばきを見せるか、2013年の世界の競馬における、大きな見どころの1つとなりそうだ。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。