第1回ジョッキーベイビーズ覇者のあの少年が騎手候補生に

2012年10月31日(水) 18:00

 今からちょうど3年前の2009年11月8日(日)、第1回ジョッキーベイビーズ(以下JB)が東京競馬場にて行われた。全国各地より選出された8名の少年少女たちが、ポニーに騎乗して直線400mのターフを駆け抜けるこのレースは、ちょうど昼休みに入った直後に行われたこともあり、多くの観客がスタンドにとどまって観戦した。

 この記念すべき第1回JBを制したのは、北海道代表の木村拓己君(当時小6の12歳)であった。相棒はピース号。馬の能力もさることながら、拓己君が小柄であったことと騎乗技術が高かったことも有利に働いて、ゴール前では独走となった。

高々とガッツポーズを上げた場

高々とガッツポーズを上げた

表彰式には現役騎手や岡部幸雄元騎手も

表彰式には現役騎手や岡部幸雄元騎手も

「思わず出ちゃいました」と後に語っていたように、右手に持ったステッキを高々と上げ、ゴール板を過ぎたところでスタンドに向かって力強くガッツポーズをする“余裕”まで見せて、場内を大いに湧かせたことを覚えている。

 その木村拓己君は現在、浦河で中学校3年生になっており、幼いころからの夢を実現するべく、JRA競馬学校騎手課程を受験したのは、今夏のことであった。一次試験は8月22日。153名に及んだ志願者のうち、ここで一気に28名まで絞られたという。そして、二次試験は10月4日、千葉県白井市にある競馬学校にて実施された。

「二次まで残った受験生はみんなかなりのレベルの人ばかりですからどんな結果になるのかまったく予測できなかったです」と拓己君が語るように、ここには現役騎手や調教師の子弟も大勢いたらしい。また彼の他にJBに出場した少年もいたようだ。「でも、菊沢一樹君(15歳)はとても優秀で、この人だけは絶対に合格しそうだと感じました」という。

 それから約1か月近くが経過した10月29日。拓己君のもとに待望の合格通知が届いた。「実はその前日あたりに、他の受験生たちからボクのところにどんどん『合格した』っていう連絡が来ていて、正直少し焦りました」と笑う。今の中学校3年生は、当然のことながら携帯電話やPCで個別に連絡を取り合うのである。

晴れて競馬学校に合格した木村くん

晴れて競馬学校に合格した木村くん

 合格通知が郵送されてくるまで、北海道はやや時間がかかる。「他の合格者が次々に判明していって、それが5人目くらいになったので、え? もう枠が残っていないんじゃないかって不安にかられました」と拓己君。さぞ落ち着かない気分で過ごしたことと思われる。しかし、うれしい知らせが月曜日に届き、拓己君も晴れて競馬学校騎手課程32期生として来春に入校することが決定した。

 拓己君は前述したように中学校3年生。小学校1年生より浦河乗馬スポーツ少年団に入団し乗馬を始めた。父の忠之さんは浦河にてナンバー9ホーストレーニングメソドという育成牧場を営んでおり、これまで拓己君の騎手志望を全面的にサポートしてきた。しかし、今回の子息の合格に関しては「あくまでスタート地点に立てただけですから、『絶対に浮かれるな』と言い聞かせています」と手厳しい。

 拓己君には2歳年下の弟・和士君がおり、昨年に続いて今年も今週末の第4回JBに出場することになっている。兄の合格により、和士君にも今までとは違った視線が注がれることになるだろう。

 なお、32期生は拓己君の他、前述の菊沢一樹君(菊沢調教師の子息)、坂井瑠星(りゅうせい)君(父は大井競馬所属の坂井英光騎手)、荻野極(きわむ)君(空手の世界大会4位という経歴あり)など全部で7名おり、なかなか個性的な面々だ。

 ただし、競馬学校騎手課程に入校した生徒が、全員揃って卒業にまで漕ぎつけた例は残念ながら極めて少ない(仄聞するところではわずか2期のみという)のが実情だ。拓己君はもちろんのこと、他の6名もぜひ脱落せずにプロを目指して厳しい訓練に耐えていってほしいと思う。

 ともあれ、これでJBへの関心がより高くなり注目度が増すことが、必ずや将来の競馬発展につながるであろうことを信じたい。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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