2013年01月17日(木) 12:00
「まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ」。徒然草の第七十五段に出てくる。ほかのことと心が混じることなく、ただ一人自分の心だけでいることがよいのだと述べているのだが、「つれづれこそよし」の意味を考えるのに重要なところと言われている。
これを読み解くのにふさわしいレースがあった。日経新春杯を勝ったカポーティスターの戦い方がそれに思えてならないのだ。
この時期の京都のインコースは走りやすいので、みんなが狙う。内枠を引いたらそれを生かすのが得策。カポーティスターは1枠2番で52キロの軽量。1000万下を勝ったばかりだから、格下であるのは間違いない。どう戦うかは決まっているとばかりに鞍上の高倉騎手は、終始4、5番手でこの枠を生かすべく、ずっと内に潜んでいた。
ただひたすら、こう戦うのだという姿勢、明らかにそう見えた。ロスなく運んで折り合いに専念するうちにチャンスが巡ってきた。ここぞというときに、そこまでのダメージが少なかったことと軽量が生きる。末脚を伸ばし、4勝目を初重賞制覇で飾ることができた。
「まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ」がそこにあった。
競馬には、よくこんなシーンがある。もしかしたら、どれもがそう戦おうとしているのかもしれない。だが、ただ一人自分の心だけでいることが、頭で思うほど簡単ではないから、あとで悔やむことが起きるのだろう。
カポーティスターは、3歳時は青葉賞、神戸新聞杯に出てステップアップを図っている。それだけの器があると期待されていたからで、その蹄跡をたどれば、日経新春杯の勝利は予測できたのかもしれない。
レースが終わって、いつもこんな風に思うのが、これまた競馬の困難なところで、どの馬の気持ちになって考えたらいいか、そこに勝負があるのだから仕方がない。ただ、戦う姿から自分の心を照らすものを見つけるのが競馬のいいところだと思う。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。