トウカイテイオーの息子たち

 今年、トウカイテイオーが死んだ。後継馬はいまだに目処が立っていない。
 それなりに活躍はしていたのだが・・・。
 テイオーが走っていた時代と違って、サンデーサイレンス系、トニービン系、ロベルト系といった新種牡馬たちの壁があまりにも厚すぎたのだ。
 テイオーがクラシックに出てた頃は、サンデーの仔もトニービンの仔もいなかった。
ロベルト系はリアルシャダイの仔のイブキマイカグラ1頭だけだった。
 トウカイテイオーの仔がデビューした年、1998年は既にサンデーサイレンス産駒の天下である。
 この年サンデーサイレンス産駒の勝利回数は157回(!)。2位トニービン産駒の
92回を離してぶっちぎりのトップである。
 ちなみにトウカイテイオーがクラシックを制覇した1991年、リーディング1位のノーザンテーストの勝利回数は93回だった。
 そんな中で、トウカイテイオーの息子たちは「親子3代クラシック」という期待を背負ってデビューしたのである。
 初年度産駒がデビューした1998年、4頭の勝馬が生まれ、まずまずのスタートを切った。
 2000年にはチタニックオーが初のクラシック出走を果たす。皐月賞である。
 17番手で追走し、勝ったエアシャカールに次ぐ上がり3F35秒1の足を使い結果は3着。大健闘だった。
 しかし、エアシャカールはサンデーサイレンスの仔、2着のダイタクリーヴァはサンデーサイレンスの仔、フジキセキの仔。サンデー系の壁の厚さを思い知らされた結果に終わった。
 このレースでチタニックオーは故障して長期休養になってしまう。
 父親譲りの体質の弱さ、サンデー系の壁・・・。クラシック初挑戦は今後の不安を抱かせる厳しい内容に終わってしまった。

                              ーつづくー