徒弟制度の復活を

2013年03月09日(土) 12:00

 風も人もよく動く季節になった。春である。

 先週、大井からJRAに移籍した戸崎圭太騎手がJRAの騎手として中山競馬場でデビューし、早速3勝をマークした。大井に在籍していた2月にも中山で1勝しているので、今年4勝。遠からず重賞を勝つだろうし、夏か秋にはリーディング上位に名を連ねているだろう。

 地方で通算2300勝以上を挙げ、大井の東京ダービーを4度、さらに一昨年リアルインパクトで安田記念を勝ちJRA・GI制覇もやってのけている彼も、免許のうえでは「新人」ということになる。本当なら「新顔」と言うべきだと思うが、ともかく、新しい風が吹き込んでくると、それに当たりたいと思うのが人情である。これからしばらく戸崎騎手には良質の騎乗依頼が集まるだろう。

 ここ数年ずっと言われていることだが、地方出身の一流騎手に加え、海外からもトップジョッキーが短期免許で来日するものだから、JRAの生え抜き、特に若手騎手にとっては非常に厳しい環境になっている。

 先週限りでウィリアム・ビュイック、グレゴリー・ブノワの両騎手が帰国したので、本稿執筆時点での「保有外国人騎手」は、クリスチャン・デムーロとダリオ・バルジューの2騎手だけである。

 が、18歳(になっていない人もいるんですね)や19歳の、純然たる「新人」にとって、ただでさえ厳しい環境が、より厳しくなっていることは間違いない。

 そんななか、今週、関東ではただひとりの新人、伴啓太騎手がデビューする。土曜日3鞍、日曜日5鞍。先週、関西の厩舎に所属するほかの3人の新人がみなデビューを果たしているだけに、はやる気持ちを抑えるのは大変だったかもしれないが、そのぶん、持てるエネルギーを今週の8鞍に思いっきりぶつけてほしい。

 2008年にデビューした三浦皇成、伊藤工真、大江原圭の3騎手が入学したときから、競馬学校の騎手課程でも授業料に相当する費用が徴収されるようになるなどシステムやカリキュラムが見直され、それまで以上に少数精鋭にして技術を叩き込み、即戦力として競馬場に送り出すことを目指すようになっている。

 中堅、ベテラン騎手が口を揃えて言うように、確かに、競馬学校を出たばかりのころの騎乗技術の比較では、10年前や20年前より今のほうがずいぶん「乗れる」ようになっている。騎乗馬獲得競争が激化したぶんをそれなりに補える戦闘力を身につけた新人が多くなった。にもかかわらず、ほとんどの若手が苦戦し、第二の人生に切り換えるには早すぎる年齢で騎手免許を返上するケースがあとを絶たないのはなぜか。

 それはやはり、日本で伝統的に引き継がれてきた徒弟制度が厩舎サークル内でほぼ崩壊してしまったからだろう。

 工芸品の職人や力士などがそうであるように、かつて、騎手を目指す若者は「親方」である調教師が構える厩舎に「下乗り」として弟子入りし、馬乗りや厩舎作業はもちろん、師匠の家の掃除や客の靴磨きや買い出しなどの雑用をやらされながら、社会勉強をしつつ、少しずつ関係者に顔と名前を覚えてもらい、何年もかけて半人前になり、さらに何年もかけて一人前になった。

 騎乗技術の習得と人間教育という、今は競馬学校で受け持っている部分を厩舎で行い、調教師や兄弟子たちが教官だった。

 今だって、新人は必ずどこかの厩舎に所属してデビューする。デビュー前から厩舎実習も行っており、調教師との師弟関係は存在する。が、それが例えば、武豊騎手と故・武田作十郎元調教師との関係と同質だと思っている関係者はいないだろう。

 武田元調教師は、技術的なアドバイスなど細かいことは何も言わない人だった。その代わり「誰からも好かれる騎手になりなさい」という言葉だけは何度も繰り返した。武騎手は、騎乗技術を兄弟子の河内洋現調教師から盗んだ。自分が乗ったとき引っ掛かってまともに調教できなかった馬を、翌日河内騎手(当時)が楽に折り合って騎乗しているのを見て、武騎手はいろいろ考えさせられた。また、身近にとてつもなく上手い人がいたおかげで天狗にならずに済んだという。

 今の競馬学校のシステムは、開校から30年ほどかけ、もっと言うと、それ以前の馬事公苑長期・短期の騎手課程の時代から試行錯誤を重ねてきたものであり、このまま正常進化を遂げていけばいいと思う。

 問題は、卒業後である。見習騎手制度で、30勝以下は▲で3kg減、50勝以下は△で2kg減、100勝以下は☆で1kg減の特典が与えられているが、その見直しも含め、年の単位でのケアが必要ではないか。

 ▲を40勝以下にするとか、かつてのように100勝してもデビュー3年未満なら☆にしてもいいのかもしれない。

 しかし、それ以上に必要なのは、「技術指導と人間教育のつづきを厩舎で数年間行う」という考え方だと思う。例えば、新人騎手を受け入れた厩舎にはJRAが数馬房と月額数十万円を補助するなどの優遇措置をとり入れ、若手が焦らず勉強できる環境づくりをしてもいいのではないか。要は、「徒弟制度」を復活させ、腕を磨く期間を長くするのだ。その場合、デビューしてから3年間は何があってもどこかの厩舎に所属していなければならない、といったルールも必要になるだろう。

 極端な言い方をすると、騎手課程を仮に6年として、競馬学校にいるのは3年だけだが、あとの3年は、復活した「現代の徒弟制度」のなかでいろいろと面倒をみる、という考え方である。そうしないと、デビューするなり百戦錬磨の戸崎騎手も「新人」という意味では横並びの立場で、世界中を転戦している外国人騎手とも限られたパイを奪い合わねばならないという過酷な環境でやっていけないと思う。

 JRAにとって、自前の施設と人員で育てた人材が若くして夢を諦めざるを得ないような現状は、いかに勝負の世界とはいえ、「将来の競馬界を支える人材づくり」という観点からは望ましくないはずだ。

 勝手なことを言うようだが、地方や海外から一流騎手がどんどん来るという過酷な環境はこのままでいいと思う。それが競技全体の底上げになり、多くの人々の目を惹きつけることになるからだ。

 ただ、あえて繰り返すと、50代になっても第一線でやれる「騎手」という職業で、「先生」に技術を習うのが3年だけというのは明らかに短すぎる。プロ野球だって、高卒ルーキーよりも大学や社会人を経てきた新人のほうが総じて力があるし、結果として、長く活躍することになる。

 今回は、年齢で見ると上に向かってカリキュラムを延長させる話に終始したが、ジョッキーベイビーズなどをからめて、下に向かってカリキュラムを延ばす方法の模索も必要になるのかもしれない。

 長くなったが、言いたいことはただひとつ。「日本の若手ジョッキー、頑張れ!」である。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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