終わらない、オルフェーヴル物語

2013年04月04日(木) 12:00

 感動で動く人生があるのなら、競馬にもそれをもとめたい。その舞台は大きいほどいいにきまっているし、そのシーズンがやってきた。競馬は、どの立場にあっても利害の占める部分が大きいが、そればかりでないことはその大ステージに立つ馬たちが教えてくれるのだ。

 人生、意気に感ず。功名、誰かまた論ぜんという有名な句がある。人生において、自分の才能を認めてくれた人の意気に感じで全身を捧げるという感動、そして自分の功名などには言及しないというその身のあり方、こういう人生の中にあったら、どれほど素晴らしいことか。だが、なかなかそうはならない。それでも、意気に感じる場面をどこか捜しもとめているものだから、生きるということは埒(らち)が明かないものだ。

 その点、競馬は、しっくりくることがあるからいい。人生では、なかなか巡り会えない感動を見せてくれるし、知らぬ間に、それを我が身に置き換えてもいいのだ。誰も、それによって迷惑することはない。

 悪夢を吹き飛ばしたオルフェーブル、そして池添騎手。勝利してスタッフに迎えられて発した第一声、「ああ、ホッとしたあ」は、その重圧がどれだけ大きかったかをあらわしていた。「休み明けで反応が鈍かったが、強く合図を送ったらしっかり反応してくれた。大したものです」。突き上げてくる思いがそう語らせ、成し遂げた自分に対する言葉はそこにはない。意気に感じたらそれ以上論じなくていいのだ。

 ここで感動をより深いものにする何かがありそうではないか。そう、他ならぬオルフェーヴルの気持だ。語らぬもう一方の主役、もし語ることが出来たら。競馬の味わい深いところだ。語らぬ主役の代弁者は人間。その人間がどう語るか。競馬にどれだけ感動を覚えるかは、かかわる人間が大きな部分をしめている。オルフェーヴル物語を追い続けたい。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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