2013年04月11日(木) 12:00
それ自身が目的である行為ほど正直なものはなく、正直ほど厭味(いやみ)のないものは無いと、漱石は「三四郎」で述べている。
クラシックレースという、サラブレッドにとり唯一無二の舞台は、全てがめざすものだけに、そこまでの過程も含めて、知れば知るほど胸打たれるものがある。だから、事前に優劣を軽々につけることほど、軽率に感じられてならないのだ。
檜舞台に立つことをめざして一戦一戦に立ち向かう最初の頃から、少しずつステップアップして課題を克服する日々を経て、ようやく念願の舞台へ。ここまで辿り着けただけで感無量と語るオーナーの胸の内は、察するに余りあるではないか。
桜花賞アユサンの優勝から、クラシックレースにどう臨むべきか、改めて一から考えさせられた。最終目標に到達するまでのひとつひとつ、もちろんけいこも含め、その全てが目的としての行為であり、それは真直ぐ受けとめにくいものだ。さらに、若駒たちだから、それぞれに心身の成長にバラつきがあってなかなか捉えにくい。いくらも戦っていないのに簡単にその馬の実力を決めつけることがどんなに愚かな行為かが分かる。
クラシックレースには、特に人智の及ばない要素がいくらでもあるから、そこが面白いと認めるべきだろう。そして、どの馬に自分は可能性を見出すか、そう考えるのが一番楽しいものだと思う。
桜花賞までの主なステップレースの勝者は、全て一番人気ではなかった。そして、本番もその通りだった。様々に鍛錬を積みながら強さを増すうちに、人の思いを超えた優劣が生じていたということで、戦評は、いつのときも結果論にすぎず、次はまた、別の結末が待っていると考えるのがいいようだ。特に今年のような時は。いや、勝者のさらなるパワーアップがあるかもしれない。厭味なく、真直ぐに受けとめる心がその時あるかだろう。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。