名馬の死に思う

2013年04月13日(土) 12:00

 1983年の宝塚記念を日本レコードで制した「黄金の馬」ハギノカムイオーが、4月10日午前、繋養先の北海道新ひだか町の本桐牧場で老衰のため死亡した。34歳だった。前週の4月1日に誕生日を迎えたばかりで、シンザンの35歳3カ月11日という日本のサラブレッドの最長寿記録更新も期待された矢先の大往生であった。

 名牝キューピットの流れを汲むイットーの仔である同馬は、生まれる前からスターになることを義務づけられていた。当歳時のセリで、従来の最高落札額の5000万円を大きく上回る1億8500万円で落札され、競馬サークルの垣根を越えて話題になった。

 ハギノカムイオーの最大の武器は、傑出したスピードだった。新馬戦を7馬身差で逃げ切り、400万下特別、スプリングステークスと3連勝し、1番人気で皐月賞に臨むも16着に惨敗。結局クラシックを勝つことはできなかったが、しかし、旧5歳時の83年、「華麗なる一族」にふさわしい煌きを見せ、スワンステークス、宝塚記念、高松宮杯と重賞を3連勝。その年のジャパンカップと有馬記念で最下位の16着に敗れ、「これ以上ファンの夢を壊したくない」という陣営の意向で現役を退いた。

 通算14戦8勝。うち重賞6勝。勝つときは圧勝で、負けるときは惨敗という、強さと脆さを併せ持った走りで多くのファンを魅了した。種牡馬としては目立った活躍馬を出すことはできず、静かに余生を過ごしていた。

 私は3年前、2010年の秋、この馬が生まれた瞬間から撮影をつづけていた写真家の内藤律子さんとともに、カムイオーの放牧地を訪ねた。このとき31歳。30年以上の付き合いになる内藤さんの姿に気づいたカムイオーは、マンガなら頭の上に「!」とつくような感じで表情を変え、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

ハギノカムイオーと写真家の内藤律子氏(2010年10月)

ハギノカムイオーと写真家の内藤律子氏(2010年10月)

 良家のお坊ちゃんがそのまま年齢を重ねたという感じで、顔も動きもとても優しく、品がある。何も主張せず、ただ静かにそこにいる。内藤さんに寄り添うカムイオーの姿を見て、自分たちの心に寄り添ってくれるこの馬の物語を、きちんと残していかなくてはならない、と思った。

 カムイオーが亡くなったのは、名種牡馬ブライアンズタイムの訃報が届いてから僅か6日後のことだった。ブライアンズタイムは4月4日の朝、種付けを行ったあと放牧地で倒れており、右後大腿骨骨折という重傷のため立つことができず、安楽死となった。28歳だった。

 初年度産駒のナリタブライアンが94年に三冠馬となり、その後もマヤノトップガン、サニーブライアン、ファレノプシス、ノーリーズン、タニノギムレット、フリオーソなど多くのGIホースを送り出した。JRA・GI勝利数は24だが、これからも産駒は生まれるので、その数字はさらに伸びるかもしれない。

 個人的には、タニノギムレットの産駒で、ブライアンズタイムからすると孫の世代にあたるウオッカやスマイルジャックについて書くことが多いだけに、大きなつながりを与えてくれた存在がいなくなり、自分でも意外に思うほどの心細さを感じている。

 名馬の死は、いつも決まって輝かしい記憶を想起させる。

 そのたびに思うのは、

 --何十年かあとになって振り返る今の競馬も輝いているのかな。

 ということだ。

 しかし、私が考えたからといって輝くものでもないので、いつもその手の物思いは途中で終わってしまう。当たり前の結論になるが、頂点を目指す人馬が全力でぶつかり合うさまは、いつの時代も眩い光を放つにちがいない、と信じるしかないのだろう。

 日清、日露戦争から太平洋戦争に至る時代、競馬には「軍需資源である馬匹の強化」という大義名分があった。

 それが敗戦と同時に失われ、「重い歴史を持つ、純然たるレジャー」という独特の立ち位置になってから70年近い歳月が流れようとしている。

 そう考えると、競馬はどうあるべきかという先行きが不透明に感じられ、道に迷いそうになるのも仕方がないように思われる。

 今、何のために競馬はあるのか。国庫納付金を捻出するため……ではない。それは結果としてくっついてくるものだ。というより、ギャンブルだけど世の中のためにもなっているんだよ、というエクスキューズか。

 考えつづけることも、余計なことは考えずに競技としての進化を追い求めることも同じように大切で、そうしていればきっとのちの時代に光を残すものになっていくはずだ。

 ……などと、2頭の名馬の死がきっかけで、柄にもなく考え込んでしまった。

 ハギノカムイオーとブライアンズタイムの冥福を祈りたい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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