皐月賞

2013年04月15日(月) 18:00

 比較の難しい混戦をささやかれたが、勝ったロゴタイプ(父ローエングリン)は最終的には1番人気。勝ちタイム1分58秒0はなんとコースレコード(当然、レースレコード)である。文句なしに強かった。2着エピファネイア(父シンボリクリスエス)は2番人気。3着コディーノ(父キングカメハメハ)が3番人気。4着カミノタサハラ(父ディープインパクト)が4番人気。

 記録を調べると、ファンが1〜4番人気馬に支持した馬が、そのまま「1〜4着」を占めたのは、73回の歴史を重ねる皐月賞史上、初めてのことである。過去、1〜3番人気馬がそのままの順番で1〜3着したのは、1941年(史上初の3冠馬セントライトが勝った年)、1951年(10戦10勝の幻の馬トキノミノルが勝った年)、そして2003年(3冠レース、1、1、3着のネオユニヴァースがM.デムーロ騎手で勝った年)。この3回だけである。人気馬が快走したことにより、歴史のなかで、ロゴタイプのこのあとの活躍は約束されたように思える。

 日曜メインレース展望で示したが、サンデーサイレンス直父系の血としてではなく、サンデーサイレンスの血が母方に入っている馬が、牡馬の春のクラシック(皐月賞、日本ダービー)を制したのは、なんとこのロゴタイプが初めてである。それも、キングカメハメハや、シンボリクリスエスなどの非サンデー系の人気種牡馬ではなく、どちらかといえばあまり評価の高くないローエングリンの産駒だったあたり、かなり興味深いことである。

 残念ながらわたしは血統(遺伝の仕組み)には詳しくないが、血のつながりを楽しむ方法は少し知っている。あまりにも遠い時代になるが、1971年、28頭立ての日本ダービーをヒカルイマイが後方から風のように差し切った年、1番人気になりながら、「ダコタはどこだ」などと形容されて17着に沈んだダコタと、3着に好走した関西馬フィドールの父は、祖父にネアルコをもつフィダルゴという輸入種牡馬である。

 そのフィダルゴには、エトワールフランス(父アークティックスター)という全妹がいた。エトワールフランスと、日本に輸入される直前の種牡馬パナスリッパー(有馬記念のイシノアラシの母の父)の間に生まれた娘がパントゥーフル(室内靴)であり、そのパントゥーフルと、これも日本に輸入される前の種牡馬シーホーク(アイネスフウジン、モンテプリンスなどの父)との間に生まれたのが、サンビターン(1970年)という牝馬である。

 サンビターンは、1983年のジャパンCに、シェイクモハメド殿下が来日したこともあって1番人気になったハイホーク(父シャーリーハイツ)の母となった。ドバイのモハメド殿下の最初のころの所有馬は、不思議と日本で知られる馬と縁があり、シャーリーハイツの母の父は、日本に輸入されたハーディカヌート(1962年)である。その父ハードリドンもまた輸入種牡馬であり、1972年の日本ダービーを制したロングエース(武邦彦騎手)などの父となっている。ハーディカヌートの産駒ハードツービートも種牡馬として日本にきた。

 ジャパンCを大敗して引退したハイホークは、やがて繁殖牝馬となって名種牡馬インザウイングス(父サドラーズウェルズ)の母となった。そのインザウイングスの代表産駒の1頭が、1996年のジャパンCなどを制したシングスピール。そして、種牡馬となったシングスピールの代表産駒の1頭が、現代のローエングリンである。遠い日、ヒカルイマイの伝説の追い込みに驚き、人気で沈んだダコタや、もうちょっとだったフィドールを知っているオールドファンは、ロゴタイプの秘める系譜が手に取るように理解できるのである。

 後年ベテランになってからの父ローエングリンは・・・

続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

登録済みの方はこちらからログイン

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

柏木集保

1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

新着コラム

コラムを探す