プロの嘘つき

2013年05月04日(土) 12:00 13

 まだ札幌に滞在している。せっかくだから、札幌にいなければできないことをしようと思い、初代ダービージョッキー・函館孫作が北海道でデビューしたころの新聞記事などを閲覧するため北海道立図書館に行ってきた。

 孫作がデビューした時期に関して、これまで見つけることができた資料は「優駿」1943年8月号に掲載されている、次のような函館厩舎の紹介記事だけである。

<(前略)そこで孫作君が弟子入りをしたのである。孫作君十六歳のときである。その翌るとしには早くも一人前の騎手として……>

 前にも書いたように、この16歳というのがクセモノで、困っている。弟子入りしたのは、数え年で16歳のときだったのか、満16歳のときだったのか。数えだとしたら1904年だ。満年齢だとしたら、満16歳になった1905年だったのか、それとも、05年10月28日に16歳になったわけだから、翌06年の10月27日までに入門した、ということなのか。

 今回調べているのは、「週刊ギャロップ」に連載している競馬歴史小説「虹の断片」を書くためである。注意書きに「この作品は実在の人物、競馬場名などが登場しますが、フィクションです」とあるように、「事実に基づいた創作」なのだから、自分に都合よくつくってもいいのだが、極力事実にそくして書こうと思っている。

 「虹の断片」では、孫作が06年に弟子入りし、07年にデビューしたとして書いていくことになりそうだ。デビュー2年目(とするつもり)の08年に関しては、当時の競馬雑誌に掲載されている成績表を見つけることができた。

 07年は元号で言うと明治40年で、前年秋に東京の池上で日本人の手による馬券発売を伴う初めての競馬が行われ、その流れで日本中に競馬会ができ、列島が史上初の競馬ブームに沸いた年である。

 その年の函館競馬春季開催の時期は競馬史年表などを見ても不明で(4日間だったことと、出走頭数などはわかっている)、秋季は2日間で競走回数22回、出走数31頭、日付は「8-」と、8月のいつかだったと記されている。

 私は東京の国会図書館に通い、当時の新聞「北海タイムス」の記事をマイクロフィルムで閲覧し、函館開催に関する記事を探した。なぜ北海タイムスかというと、同紙は北海道各地で開催されたレースにメダルを寄贈するなど、今で言う冠スポンサー的なことをたびたびしていたからだ。余市競馬会、根室競馬会などで競馬執行、といった広告も多く、また、馬名と騎手名が記された競走成績もちょくちょく掲載されていて面白い。

 カラカラとマイクロを回しながら見出しを追った結果、どうやら函館の秋季開催は8月24日と25日だったらしいことがわかった。しかし、25日の午後10時20分に出火した大火事で当時の函館区の半分ほどが焼けてしまい、以降の函館に関する記事は大火の続報ばかりになり、競馬に関してはまったく触れられていない。

 北海タイムスは札幌の新聞なので、同紙より先に函館新聞を閲覧しようと思ったのだが、どういうわけか孫作がデビューしたころだけ欠号になっている。国会図書館の職員にデータベースを調べてもらったところ、1907年前後の号も札幌市中央図書館にはあるとのことだった。しかし、念のため札幌市中央図書館に問い合わせてみたら、05年8月まではあるが、そこから先はズボッと抜け、12年からしか残っていないという。で、今回札幌に来てから、

 ――そういえば函館毎日新聞というのがあったな。

 と思い出し、道立図書館に行って検索したら、函館新聞と同じく05年の8月まではあるのだが、やはり間が抜けて、次は08年12月まで飛んでしまっている。同館の北方資料室で訊いてみたら、かなり時間をかけて、データベースに載っていないマイクロまで倉庫から引っ張り出してくれたのだが、それも1908年のものだった。07年の大火で消失してしまったのだろうか。

 まあ、でも、孫作の騎手デビューの時期が、ちょっと調べりゃわかることなのに……というたぐいのことではない、とわかっただけでも収穫である。

 今回は、事実を正確に割り出そうとしているわけではなく、フィクションをつくるため、つまり、嘘をつくために事実確認をしているわけだから、その目的は、これでほぼ達成されたと考えたい。

 あれこれ調べてつくづく思った……嘘をつくのも大変である。

 ついみんなが信じてしまうような自然な嘘を、これからも作中でどんどんついていきたい。なんて言うと、自分がプロの嘘つきになると喧伝しているかのようだが、それでもやはり、「騙されてよかった」と読者に思われる嘘をつける書き手になりたい。

 前述の北海タイムスが98年に廃刊になっていたことを、さっきネットで知った。北海道で生まれ育った人なら誰でも知っている歴史ある新聞だけに、ちょっと寂しい。私は高校2年のとき、同紙主催の駅伝に出たことがある。駅伝と言っても、実家から近い琴似工業高校周辺の道をグルグル周回するだけのもので、私のチームは、先頭だった私の順位のまま、確か10何位だった。私は自分の高校の代表チームとは別の、サッカー部代表として出たのだが、ほかの高校は陸上部の選手ばかりで、みんなテンからビュンビュン飛ばして終いもシッカリしていたので、ちょっと面食らった。追い込み型だった私は、同じ中学から北海高校陸上部に入った佐藤雄大という友達を中継点までにかわしてやろうと思っていたのだが、結局追いつくことができなかった。雄大、元気かな。

 これは嘘ではなく、本当の話である。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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