史上初のダービー優勝牝馬と騎手のこと

2013年05月18日(土) 12:00 43

 今年80回目を迎える日本ダービーの歴史のなかで、優勝した牝馬は3頭のみ。

 1頭目は1937(昭和12)年のヒサトモ、2頭目は43(昭和18)年のクリフジ、そして3頭目は2007年(平成19)年のウオッカである。

 ヒサトモが勝ったのは、第6回日本ダービーだった。このときは、初めてダービーが快晴のもと良馬場で行われ、2着のサンダーランドも牝馬で初の牝馬ワンツー、さらに関西馬による初優勝と「初」のオンパレードだった。

 ヒサトモは、デビュー戦で3着となったあと2連勝したものの、ダービーの4日前に不良馬場で行われたレースでマナヅルという下級馬に5馬身差で敗れていたため人気がなく、払戻しが上限200円の大穴となった。

 しかし、勝ちっぷりは見事で、スタート直後から好位につけ、2コーナーで先頭に並びかけて向正面でハナに立ち、そのまま押し切ってしまった。

 翌年、旧5歳になってからも第3回天皇賞・秋(帝室御賞典)を大差勝ちするなど強さを見せ、12月の牝馬特別を勝って引退。繁殖牝馬「久友」として8年ほど過ごし、サチトモ、ヒサトマン、ブリユーリボンなど数頭の産駒を送り出した。

 だが、終戦後の馬不足のため、なんと地方競馬で現役復帰させられ、49年、旧16歳のとき浦和競馬場で生涯をとじた。

 その悲運の名牝ヒサトモの血が、のちの時代に蘇った。前出の第4仔ブリユーリボンがヒサトモの産んだ唯一の牝馬だったのだが、その流れを引く牝馬を「トウカイ」の冠で知られる内村正則オーナーが購入し、トウカイクインと名づけた。トウカイクインの孫のトウカイローマンが84年のオークスを勝ち、その甥のトウカイテイオーが、91年に無敗の二冠馬となり、92年のジャパンカップ、93年の有馬記念を勝つなどした。ヒサトモはトウカイテイオーの6代母、ということになる。

 ヒサトモは鹿毛で四白流星。トウカイテイオーも流星に特徴のある鹿毛で、惜しいことに(?)三白だった。ともあれ、ほぼ半世紀の時を経て、こんなふうに似た姿で現れて活躍する、というのが面白い。

 ヒサトモの主戦騎手だった中島時一もまた数奇な運命をたどった。初出場でダービーを勝ったとき31歳。ヒサトモを管理する調教師でもあり、いわゆる「調騎兼業」としてレースに出場していた。その後、太平洋戦争が開戦し、競馬が中止に追い込まれると故郷の広島に帰り、戦後、競馬が再開されても競馬場には戻らず、広島で農業をつづけた。

<当時のファンにいわせると、中島時一はニヒルな二枚目で、一匹狼であったらしい。>(寺山修司『競馬への望郷』騎手伝記/中島啓之)

 長男の中島啓之、次男の敏文ともに騎手となり、調教師となった敏文は2011年10月、定年を前に勇退している。

 啓之は43年6月に東京で生まれ、競馬が中止になると父とともに広島に移る。父がダービーを勝った6年後に生まれ、すぐ東京を離れた彼は、父のレースを見ていないに等しかった。

<家にはアルバムが何冊かあり、そこには若い日の父の写真が貼ってあった。父は馬上で手を振っていた。

「ぼくには、競馬がどういうものだか、見当もつかなかったし、父もあまり語ってくれなかったが、その世界に惹きつけられたことは、確かだった」>(同)

 そして啓之は騎手になり、74年5月26日、コーネルランサーで第41回日本ダービーを優勝。史上初の騎手によるダービー父子制覇をやってのけた。父と同じく、31歳になる年のことだった。しかし、父はその7年前に世を去っていた。

 中島時一、啓之父子は、互いのダービー制覇を見ることができなかったのである。

 啓之は、このダービー制覇を含め八大競走を4勝するなど活躍したが、85年6月、肝臓癌のため急逝した。享年42歳。前月のオークスで2着となるなど第一線で活躍していたさなかの死だっただけに、競馬サークル内外に与えた衝撃は大きかった。

 弟の敏文は兄の死を機に調教師への転身を考えるようになり、91年、美浦に厩舎を開業するに至ったという――。

 牝馬のダービー優勝というと、私はクリフジとウオッカのことばかり書いてきた。80回の節目を機に、ヒサトモについて調べてみると、こうした人馬の物語に出会い、少なからず驚いた。ここに引用した寺山修司の著作も、20年ほど前に読んでいるのに、そのときは、私のなかを物語が素通りしてしまい、今になってようやく引っ掛かってくれた。これも節目のおかげである。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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