2013年06月01日(土) 12:00 69
武豊騎手が手綱をとったキズナが、節目の第80回日本ダービーを制した。
私はスタンド6階で観戦し、入線後すぐ階下の検量室に向かったので外の様子がわからず、「ユタカコール」が発生していたことも知らなかった。東京競馬場は構造上、検量室が半地下(といってもパドックとは同じレベルなのだが)で、スタンドのなかにあるので、コース上で何が起きているのか、モニターを見なければわからないのだ。
それでも、「ダービーならではの瞬間」を味わうことはできる。
検量室前の枠場に戻ってきた勝ち馬を、他馬の関係者やマスコミ関係者、招待された人々、そしてJRAの関係者もみな、拍手で迎えるのだ。
口笛や、いわゆる黄色い声などは聞こえない。拍手もどちらかといえば静かで、聞こえてくるのは抑えた感じの「おめでとう」「ありがとう」の声がほとんどだ。
この拍手と声が、重々しく……と言うと大げさかもしれないが、じんわりと検量室前全体を満たす感じも、私にとってはダービーのうちなのである。
ダービーの日は、ほかのGIでは見かけないムービーやスチールのカメラが多く、彼らは馬の習性やホースマンの動線などをわかっていないので、以前は「邪魔だなあ」と思っていた。しかし、これだけ売上げや入場人員が落ち込んでくると、普段取材に来ない媒体でどれだけ紹介されるかがものすごく重要になってくるわけだから、もっとどんどん来てもらわないと困る。
テレビを見ても、京王線の車内を見てもわかったように、今年はJRAが前宣伝に金をかけていた。それが奏功し、ここ10年のダービーデーではディープインパクトが勝った2005年に次いで多い13万9806人が東京競馬場を訪れた(喜ぶべきことなのだが、90年代はGIIでもこのくらいのファンが集まっていたのだから、まだちょっと寂しく感じる)。
武騎手は、この勝利で、自身の持つダービー最多勝記録を「5」に増やした。
ディープで勝って以来8年ぶりというのは、「久しぶり」と言っていいのだろう。
「ぼくは、帰ってきました!」
スタンド前で行われた勝利騎手インタビューで、彼はそう言った。
「競馬の祭典」の大舞台で1番人気を背負いながら、道中、先頭から多く離れた後方3、4番手に控える大胆な騎乗は、「ダービーの勝ち方」を知っている彼だからできたことだろう。
「らしい」武豊が、私たちの前に帰ってきた。
最終レース後にパドックで行われたイベントでは、「またリーディングに返り咲きたいと思います」 と復活宣言し、ファンを沸かせた。
騎手の44歳なんて、まだまだこれからである。ちょっと成績が悪くなると、彼だけ年齢のせいにされるが、それはあれだけ長く頂点に立っていたチャンピオンの宿命か。
この大きな勝利をきっかけにした、天才・武豊の完全復活を、待ちたい。
前週、弟の武幸四郎騎手がメイショウマンボでオークスを制したので、兄弟による2週連続クラッシック制覇を、桜花賞を勝ったクリスチャン、皐月賞を制したミルコのデムーロ兄弟につづいてやってのけたわけだ。
弟が「メイショウ」の松元好雄オーナーの馬で、兄がノースヒルズの前田幸治代表の生産馬で勝ち、どちらも長く支えてくれた関係者に恩返しをすることができた。
口取り撮影で関係者が見せた表情や動きから、人と人とのあたたかいつながりを感じとることができた。
夜、テレビのスポーツニュースでダービーの映像が流れるのを見て、
――絵になる男が勝ってくれてよかった。
とつくづく思った。
やはり、普段競馬を見ない人の興味を引くには、武豊騎手に活躍してもらわねばならない。
秋、キズナは凱旋門賞に参戦する予定だ。
前田氏は、引きつづき武騎手を起用することを明言している。
武騎手は、父ディープインパクトでなし得なかった世界制覇を、産駒としての最高傑作になり得るキズナでやってのけることができるか。
もし武豊・キズナが凱旋門賞制覇という快挙を達成したら、「騎手・武豊の完全復活」と「競馬ブーム再燃」という大きなうねりが同時に発生するかもしれない。
今から秋が楽しみである。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。
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