2003年08月05日(火) 10:46
1980年代からオーナーブリーダーとして活躍し、欧州競馬サークルに大きな足跡を残したワフィック・サイド氏が、競馬界からの撤退を表明。すべての所有馬を売却することになった。サイド氏と言えば、氏の所有するサジタ・グループが、6年間継続したニューマーケットにおけるギニー・フェスティヴァルのスポンサーから今季限りで降りることが発表されたばかり。ビッグレースの後援からの撤退が、すなわち競馬から身を引くことを意味していたのである。
サイド氏の所有馬と言えば、真っ先に思い浮かぶのが、90年代後半における欧州競馬のヒロイン、ボスラシャムだ。2歳時、G1フィリーズマイルを含めて2戦2勝。左前脚のざ石というアクシデントに遭いながら戦った3歳春。管理するヘンリー・セシル師が、返し馬をやって、スタート地点に付いた時点で出否を決めると発言した1000ギニーは、今も忘れられない思い出である。10F路線の不沈艦と言われたホーリングを破った3歳秋の英チャンピオンS。8馬身差のぶっちぎりを演じた4歳春のプリンスオヴウェールズSなど、まさに男勝りのレース振りを見せた女傑だった。
ボスラシャムと同じ時期に、欧州で所有したレディーカーラも、負けず劣らずの名牝だった。8馬身差で制した彼女のオークスは、90年代における3歳牝馬クラシックのベストレースのひとつに数えられている。日本の皆さんには、エルコンドルパサーの欧州緒戦となったイスパーン賞で、エルコンドルパサーを迎え撃ったクロコルージュが、サイド氏の所有馬として鮮明な記憶に残っているはずだ。また、01年のジャパンCダートにアメリカ代表としてやってきたジェネラスロージーも、サイド氏のオーナーブリーディングホースであった。
撤退に関してサイド氏は、英国で過ごす時間が減り、競馬場に足を運ぶ機会が減ったをこと挙げ、競馬への興味を失ったわけではないとしながらも、大規模な競馬組織を持っている意味が無くなったと、その理由を述べている。
氏が所有する現役馬、繁殖牝馬は、今後年内にニューマーケットでおこなわれるセールですべて売却される予定。と言うことはすなわち、ボスラシャムも、レディーカーラも、市場に出回ることになるのである。なおかつ、父シングスピール・母ボスラシャムの当歳牡馬や、父キングマンボ・母レディーカーラの1歳牡馬らも売りに出されるわけで、世界のトップホースマンによる激しい争奪戦が起きるのは必至と見られている。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。