屈していても粘り強くあれ

2013年09月12日(木) 12:00

 セントライト記念で思い起こす馬がいる。平成2年の勝ち馬ホワイトストーンだ。1勝馬の身で、春は皐月賞にもダービーにも出走していた。それぞれのトライアル戦でいずれも3着に入って出走権を得ていたのだった。しかも、ダービーでは3着に追い込んでいる。12番人気での善戦にびっくりさせられた。東京競馬場に19万6千人も入り、アイネスフウジンの逃げ切りにナカノコールが上がったあのダービーだ。この頃のホワイトストーンは、馬体に線の細さが感じられ、気性も少し激しく、秋を戦う課題とされていた。

 その先伸びる可能性があるかと考えるとき、伸びきっていればそれはなくなり、曲がっているからこそ大きく伸びることができる。だが、どこか自分に不満があるとき、それを満たせば前進する余地があるではないかと気持を持ち直せるものだろうか。老子の言葉に「屈しているから伸びることができる。窪んでいるからこそ水を満たすことができる」とある。屈していても粘り強くあれと励ましてくれているのだが、その意味するところは分かっても、なかなかそうは出来ないまま今日に到っているのだ。だからこそ、目の前のレースの中に、自分に代って可能性を追い求め、少しでも実現させていく姿に引き寄せられていくような気がする。デビュー戦から圧倒的に強いのもいいが、どこか弱さがありながらも少しずつ克服していく姿にこそ、魅力を覚えるところもあるのだ。ホワイトストーンは、ダービーの後放牧され、夏は函館競馬場で調整されていた。セントライト記念で発表された馬体重が、16キロ増の450キロ、競走馬として明らかに一歩前進した姿に見えた。そしてレースでは、馬群をこじあける闘志と逞しさを発揮していたのだった。菊花賞ではメジロマックイーンの2着とし、その後もずっと第一線で戦い続け、平成7年ナイスネイチャに更新されるまで、28戦連続して重賞レースを戦い続けるまでになっていたのだった。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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