2013年09月21日(土) 12:00
贔屓のスマイルジャックが9月19日付でJRAの競走馬登録を抹消、地方の川崎競馬に移籍した。スマイル自身もその日のうちに、美浦・小桧山悟厩舎から、川崎・山崎尋美厩舎に移動している。
父タニノギムレット、母シーセモア。2005年3月8日生まれの牡8歳。
父の代表産駒としては牝馬のダービー馬ウオッカが知られているが、牡の産駒でもっとも賞金を稼いでいる(3億8498万3000円)のはスマイルである。
スマイルジャックは、馬インフルエンザの脅威にさらされた07年夏、新馬戦を勝利。オープン特別で2戦連続2着となり、東京スポーツ杯2歳ステークスでは3着と勝ち切れなかったが、3歳時の08年、大舞台で強さを見せはじめる。
スプリングステークスで重賞初制覇を果たすも、4番人気に支持された皐月賞では9着に惨敗。ダービーでは12番人気と評価を落としていた。しかし、距離が長いと見られていたこのダービーで、スマイルは好位でぴたりと折り合い、余力を持って直線に向いた。ラスト400m地点でスパートし、ラスト200m地点で抜け出してさらに伸び、あと一歩というところでディープスカイにかわされ、2着。世代最強馬決定戦で「銀メダル」だった。
菊花賞で16着に惨敗したあとはマイル路線に転じ、翌09年、新たな鞍上として三浦皇成騎手を迎えて関屋記念を勝ち、10年、11年の安田記念では2年連続3着。そして今年、安田記念5年連続出走という、「無事是名馬」を地で行くスマイルならではの記録を樹立。9月8日の京成杯オータムハンデで13着となったのが、中央所属馬としてのラストランとなった。
JRA通算48戦5勝。うち重賞は前記の2勝のほか、11年東京新聞杯の3勝。
よく頑張ってくれたと思う。これからも走りつづけるとわかっていても、「ありがとう、お疲れさま」と言いたい。
スマイルは、07年夏の新馬戦で、私が20代のころから世話になっている小桧山調教師の管理馬として、先々をものすごく楽しみにさせる走りを見せてくれた。現地で観戦したわけではなく、ビデオで見ただけだったが、首を低くしたフォームと、流星の目立つ男前の顔にシビれてしまった。
スマイルの新馬戦があったころというのは、ウオッカが負傷のため、メイショウサムソンが馬インフルのため凱旋門賞参戦をとりやめたりと残念なニュースがつづいており、そんななか、スマイルだけが明るい光を私に見せてくれていた。
――過度な期待かな。 と思いつつ、エッセイに、「スマイルのことで、コビさん(小桧山師)にインタビューする日が来るような気がする」といったことを書いたら、それが現実のこととなった。
強くなると思ったら本当に強くなってくれて、恩人のコビさんをGIのレギュラーにしてくれた。
小桧山師がどんな意味で私の恩人かということは、初めて武豊騎手に密着取材するチャンスを与えてくれたのも、スポーツ誌「Number」の編集者を紹介してくれたのも師だった、と書けばおわかりいただけるだろう。
コビさんに会っていなければ、今の私は間違いなく違う種類のものを書いていた。
転厩しても、スマイルはスマイルだ。
しかし、サラブレッドというのは、人と一体になってそこの「社会的存在」である。
馬名が与えられ、馬主と調教師の方針でどんなレースを走るか決められ、毎日付きっ切りで世話をする厩務員や調教助手のキャラクターによって馬自身の性格も、メディアでのとり上げられ方(すなわち私たちが思うその馬の実像)も変わってきて、他馬やほかの関係者たちがひしめくサークルのなかでの「スマイルジャック」として、地図上で緯度と経度を示すように、スマイルの個性が明確なものになる。
管理するのは、スプリングステークスを勝ったあと、私が運転するクルマの助手席で「マイル路線に専念すれば、即一流になれる馬だよ」と話していた小桧山師。世話をするのは野球がメチャメチャ上手く、黙々と仕事をこなす梅澤聡調教助手。稽古をつけるのは、「スマイルがGIを勝つまで切らない」とロンゲをトレードマークにしていた、格闘家でもある芝崎智和調教助手。彼らと一体になってこその「スマイルジャック」だった。「スマイルジャック」という「物語」、と言ってもいい。
背景や周囲の人間たちと切り離されたら、すなわち(今の)社会性を失ったら、スマイルは、(少なくとも私にとっては)今のスマイルではなくなってしまう。
私が、海外遠征する日本馬に外国人騎手が乗ると興味を失ってしまうのは、そうした意味からだ。
なぜ騎手を変えるのか。騎手の技量が勝敗に大きく作用するからだ。重要だからこそ、現地の騎手を起用するのだろう。
ということは、日本人騎手で結果を出してこそ、日本の競馬界全体の力量を示すことになるのではないか。
「凱旋門賞制覇は日本人騎手でなきゃ、なんて言うのはおかしい」
という声をよく聞くが、私の考えは、ここに記したとおりだ。外国人騎手が乗った段階で、「日本馬」としての大切な要素がひとつ欠け落ちてしまうように感じてしまう。
ジャパンカップを獲りに来る欧米の陣営のうち、どのくらいが日本人騎手を起用するだろうか。あるいは、自国ではない欧米の騎手を乗せるだろうか。
話がスマイルから逸れてしまった。
何度も言うが、これはあくまでも私個人の考えであり、とらえ方だ。どっちが正しいとか間違っていると言うつもりはない。
さて、先に記したように、これからのスマイルは、社会的存在としては、私が見てきた「スマイルジャック」ではなくなってしまうが、生き物としてはスマイルのままである。
また、「スマイルジャック」を「物語」とするならば、あの雄大な馬体と端正な顔、ダイナミックな走りのなかに、スマイルに寄せられたファンの思いも、小桧山師や厩舎スタッフの情熱も息づいているはずだ。
書いているうちに、やはりスマイルはスマイルだ、外国人騎手を乗せようが日本馬は日本馬だという思いも強くなり、自分の優柔不断さに呆れてしまう。
それはさておき――。 転厩先が山崎厩舎だと聞いたとき、私は、2年前にインタビューしたときの山崎調教師の表情を思い出した。
そのときは、中央から移籍し、山崎師の管理下で走ったのち引退したユキチャンについてのインタビューだった。
「学習能力が高く、『強かわいい』馬でしたね」 と微笑み、注目馬が来て厩舎スタッフの意識が変わったことなどを話してくれた。
愛情と誇りをもってユキチャンに接していたことが伝わってきた。
――あの人なら、スマイルも大切にしてくれるだろう。
そう思った。
川崎の小向厩舎地区は、私の自宅兼仕事場からクルマで10分ほどのところにある。 実際の距離は、ぐっと近くなった。
次にどんな形でスマイルに会うことになるかわからないが、その機会があれば、またここに書きたいと思う。
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島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所