2013年10月02日(水) 18:00
去る9月23日(月)の秋分の日、日帰りで東京に行ってきた。目的は世田谷区の馬事公苑で行われる「愛馬の日」である。馬と親しむことを目的として毎年この日に開催される「愛馬の日」には様々なイベントが用意されており、今年は流鏑馬(日本古式弓馬術協会・武田流一門)、打球(宮内庁主馬班)などの伝統馬事芸能の他、北海道からばんえい競馬も参加することになっていた。しかし、直前になって、ばんえいイベントは急遽中止になってしまったのだが。
この日は来る11月3日(日)に東京競馬場で行われる予定の「第5回ジョッキーベイビーズ」関東予選がスケジュールに組まれていた。過去4回の関東予選もこの愛馬の日に実施されており、それを見に出かけたのである。北海道はすでに秋の気配が漂い、日中はともかくも朝晩は肌寒いほどの気温差になっているが、東京はまだ暑いだろうと覚悟して行った。だが運よく、東京はこの日から急激に秋らしい気温になったとのことで、道産子の私でも半袖では少し寒く感じるほど。何やら拍子抜けしてしまった。
2013年JB関東代表の2人とアルゼンチン大使夫妻
中でも関東地区は底辺が広く、JRAの競馬場やトレセン、事業所ごとに結成されている少年団活動が盛んだ。今年はそれらのJRA少年団から7人、民間の乗馬クラブから2人の計9人がエントリーしてきた。まず2組(4頭と5頭)に分割して予選を行い、上位2人ずつが決勝に進出するルールである。
なお、昨年この関東予選で代表の座を獲得した佐藤翔馬君(小3)もエントリーしてきたが、今年から規定が変更され、出場資格に下限が設けられた。昨年まで小1から出場できたのが今年から小4以上になったのである。したがって佐藤君はあくまでも「オープン参加」であり、結果がどうであれ記録には残らない。佐藤君は昨年のJBにて、前日練習の際に落馬し、抽選で引き当てた騎乗馬を途中で変更せざるを得なくなった経緯もあり、より安全を期すために今年から出場資格を小4以上としたのだ。
予選は12時から続けて2レースが行われた。第1レースは菅原明良君(コリス)、有賀涼君(栗姫)、菊池涼君(チェリー)、斎藤新君(レインボー)の4人によって争われた。
ダートコース走路の直線部分230メートル。大勢の観客が見守る中、実力馬コリスに騎乗した菅原明良君が先頭で駈け抜け、続いてレインボー騎乗の斎藤新君が2着に残った。予選第1組からはこの2人が決勝進出を決めた。
その10分後に第2レース。出走メンバーは大塚海渡君(ブッチー)、鹿戸雄翔君(ハショウボーイ)、川村武君(ミッチー)、増田ひとみさん(エンベツクイーン)の4人。これに前述の佐藤翔馬君が加わり5枠5番でオープン参加である。
このレースは、やや遅れてスタートした佐藤翔馬君(ウルトラマリン)が外埒沿いを進み、他の4頭を交わして余裕で1着となったが、もちろんこれはあくまで「参考記録」である。この第2レースからは、大塚海渡君と鹿戸雄翔君が決勝に進出することとなった。
関東予選決勝1着の菅原明良君
関東予選決勝2着斉藤新君
約3時間後の午後3時15分、いよいよ決勝レース。出場者は菅原明良君12歳(コリス、JRA中山競馬場少年団所属)、斎藤新君(レインボー、JRA美浦トレセン少年団所属)、大塚海渡君(ブッチー、JRA美浦トレセン少年団所属)、鹿戸雄翔君(ハショウボーイ、JRA美浦トレセン少年団所属)の4人。これで代表が決まるということで多くの観客も固唾をのんで見守っている。カウントダウンが始まり、一斉にスタートが切られた。
レースは中盤にさしかかったところで4騎がほとんど等間隔で縦一列になる展開。地力に勝る菅原君のコリスが先頭を走り、斎藤君のレインボーが続く。大塚君のブッチー、鹿戸君のハショウボーイという順のまま、あっという間にゴールインとなった。
これにより、JB関東地区からは、菅原明良君と斎藤新君が代表として選出された。ちなみに斎藤新君の父はJRA調教師の誠氏である。また惜しくも決勝で敗れたが鹿戸雄翔君の父雄一氏も調教師だ。関東予選ではこうして競馬業界で活躍する人々の子弟が何人も参戦していて、興味深いものがあった。
なお、この後、9月29日には中京競馬場にて東海地区予選が7人によって争われ、伴凌次君(10歳)が代表に選出されたらしい。これで全国7地区、計8人の代表が決定し、11月3日の本番を迎えることになる。その時には東京競馬場で取材させていただく予定でいる。
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田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。