第92回凱旋門賞を見て

2013年10月12日(土) 12:00 49

 10月6日に行われた第92回凱旋門賞で、日本馬初の優勝が期待されたオルフェーヴルは2着、キズナは4着に敗れた。

 勝ったのは仏オークス、ヴェルメイユ賞などを制し、これで戦績を5戦5勝とした3歳牝馬のトレヴだった。「ここから仕掛けた馬は脱落する」と言われている、最後の直線手前のフォルスストレートから動き、オルフェを5馬身、キズナを7馬身以上も突き放した。

「あの2頭でも勝てないなら、斤量面で一番有利になるよう、クリフジとかウオッカぐらいの牝馬を3歳のうちに連れて行くしかないでしょう」

 帰国後、知人にそう言われた私は、「でも、勝ったトレヴがそのクラスの馬だったんだよ。しかもホームで戦える馬」
 と答え、場をシラけさせた。

 まあ、確かに人間と一緒で、牝馬のほうが一般的に旅に強いというか、環境の変化に動じない傾向にある。

 それより、凱旋門賞を勝つことだけを目標とするなら、ヒントになるのは、2010年に僅差の2着となったナカヤマフェスタを管理した二ノ宮敬宇調教師が、そのレース直後に漏らしたひと言だ。

「このままフェスタをフランスに置いておけば、来年の凱旋門賞を勝ちますよ」

 オルフェでもキズナでも、あるいは、今から来年のオークス制覇を期待できそうな2歳牝馬をシャンティイの厩舎に預け、「フランスの馬」にしてしまうのが最良の道だろう。

 ――ただ、それだと日本馬による制覇という感じがしないんだよなあ。
 と、多くの人が思うはずだ。

 何度も同じことを繰り返すが、私は、日本で生産されたサラブレッドが、日本ダービーを目指して調教されながらキャリアを重ね、その努力が凱旋門賞をはじめとする海外の大レースを制する努力にもなり、ポッと行ってポッと勝ってしまうようになって初めて、「世界に追いつき、追い越した」と言えると思っている。

 しかし、なかなかそうは行かない。やはりまだまだ伝統の差を感じる。日本ダービーを勝つための努力と、凱旋門賞を勝つための努力は、今のところ別物になっている。

 レース後、武豊騎手や池江泰寿調教師の口から、トレヴに関して「強いなあ」という言葉を何度聞いたことか。確かにあの牝馬は化け物だと思うが、武騎手が言うように、この層の厚さがヨーロッパ競馬であり、ああいう馬が出てくるのが凱旋門賞なのである。

 ジャパンカップに出てくる海外の一流馬を見てわかるように、ポッと一発勝負で異国の大レースに出る場合、だいたいハチガケ(80%)ぐらいの力しか出せないと考えるべきだろう。前哨戦を叩き、環境に慣れてようやく90%というところか。

 もう結論が出てしまったが、ホームで走る化け物を、90%の力でも上回る、さらなる化け物を送り込むしかない。

 キズナには、これからそういう化け物に成長してもらいたい。3歳夏から秋にかけての大事な時期を、心身のリフレッシュ効果のきわめて大きいシャンティイで過ごしたことは、必ずプラスに作用するはずだ。

 ところで、ディープインパクトが参戦した06年にもちょっと感じたのだが、シャンティイでレース週に現地の厩舎関係者やメディアの人間と話したり、レース当日、ロンシャン競馬場にいると、

――そろそろ日本にタイトルを持って行かれても仕方がないな。
 と、向こうが覚悟している気配を、確かに感じる。今回は特にそれが強く、レース翌日、パリ国際競馬会議に参加して、

――ああ、今回もヨーロッパの馬が勝てましたねー。
 と、胸を撫でおろすような雰囲気があったのを感じた。

――なぜ、日本のホースマンやファンは、これほどまで凱旋門賞制覇に執念を燃やすのか。

 シャンティイに取材に来ていたアメリカのCNNも、そう疑問に思い、武騎手や池江師らにマイクを向けていた。
 日本人のなかにも、そんなふうに感じている人がいるようだ。

 凱旋門賞が世界最高峰のレースであることは、勝ち馬をはじめとする出走馬の一覧を見て、それを世界中で成功している種牡馬や繁殖牝馬のリストと照合すれば一目瞭然である。

 確かに、イギリスのキングジョージVI&クイーンエリザベスステークスや、アメリカのブリーダーズカップも同じくらい格の高いレースだが、1969年に「ミスター競馬」野平祐二氏のスピードシンボリが初めて参戦したという、短いながらも「歴史」と言えるものがあるからか。スピードシンボリは、その年、凱旋門賞の前にキングジョージに出走しているのだが、その後参戦した日本の人馬は凱旋門賞が圧倒的に多い。

 何となくだが、凱旋門賞が「有馬記念の世界版」というイメージなのに対し、キングジョージは「宝塚記念の世界版」で、ブリーダーズカップやドバイワールドカップは「ジャパンカップの世界版」といったイメージなので、どうしても凱旋門賞に重みを感じてしまうのかもしれない。

「凱旋門賞」というレース名もいいのかもしれない。また、シャンゼリゼ通りから望む凱旋門という、そのレースを象徴するものがあることも、ステイタスを高めることに寄与しているような気がする。

 また、武騎手が、このレースを勝ちたいがために01年、02年とフランス長期参戦を決意したというほどの意欲を見せていることも影響しているように思う。

 とまあ、いろいろ書いたが、きっかけはどうあれ、「一度目標にしてしまったのだから、獲るまで頑張る」ということでいいのではないか。

 私は物書きとして生きていくことを決め、自分の仕事に誇りを持っているが、この仕事を始めたきっかけは、「嫌なものを避けた」だけだった。毎日同じところに通うのは嫌だったし、いつも顔を合わせる人間を自分で選べないのも嫌だった。あれヤダ、これヤダと言っているうちに、物書きぐらいしかできる仕事がなくなっていた。
 きっかけは褒められたものではないが、とにかく、始めてしまったのだから、誇りと自信を持てるよう頑張ろう、と思っている。

 話が逸れたが、そういうわけで、いったん追いかけはじめてしまったので、これからも私は、日本の人馬が凱旋門賞を制する「歴史的瞬間」に立ち会えるよう、追いかけるつもりである。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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