一陽来復

2013年11月14日(木) 12:00

 ものには堪忍という事がある、この心掛けを忘れてはいけない、ちっとは辛いだろうが我慢するさ。太宰治の新釈諸国噺の中の「粋人」の冒頭の言葉だが、その先に決め手となる件(くだり)がある。仕合せと不仕合せとは軒続きさ、ひでえ不仕合せのすぐお隣りは、一陽来復の道理が救ってくれる。生きることの深さを知り、世の中の味わいを学べるのは、そうした悲観をくぐるからではないか。悩みを悩みとしてとらえるのではなく、問題として解決するとき、この一陽来復は大いに力になるし、これまで助けられてきた。

 かつて、エアジハードというチャンピオンマイラーがいた。平成11年、安田記念で怪物グラスワンダーを下し、秋はマイルチャンピオンシップも勝ってその年の最優秀短距離馬の表彰を受けていた。このエアジハード、前年の3歳春は、スプリングSから皐月賞という目標を立てたが、ゲートで暴れて発走調教再審査を受ける不運に見舞われ、クラシックを棒に振っていた。加えて、ヒザが反っていて無理はさせられず、伊藤正徳調教師は細心の注意を払っていたのだった。

 じっくり心身の成長を促し、父母から受け継いだ良さがレースに出るようになったのが4歳秋(当時の旧年齢表記)、3連勝で富士Sを勝ち頭角をあらわした。しかし、走る資質を確認するとエアジハードは翌年春まで長期の休養を取ったのだった。ものには堪忍という事がある、それである。安田記念を前にした京王杯スプリングCに出て、一瞬間速く出たところをグラスワンダーに差されると、本番ではじっくり相手の動きを見てゴールできっちりとらえて勝ち、マイルチャンピオンシップの前に戦った秋の天皇賞では2000mを意識して前々の競馬をしてスペシャルウィークに追い込まれたが、本番ではじっくり中団に構えて直線勝負に徹してマイルチャンピオンに。一陽来復の現役生活だった。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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