【ジャパンC特別企画】当事者が語るGI制覇の舞台裏〜佐々木晶三調教師Part1

2013年11月19日(火) 19:00

ジャパンC史上最大の9馬身差の圧勝劇『タップダンスシチーがもたらしたもの』

佐々木晶三調教師「あの馬がいたから、その後のアーネストリーもキズナもおる。あの馬がいたから、今年の凱旋門賞への挑戦も成功した。本当にいろいろなことを教えてくれた。今、思い出しても、俺にとっては競馬の神様のような馬やね」。そう言って、何度が小さく頷いた佐々木晶三。彼が語る“あの馬”とは、2003年のジャパンCで9馬身差の逃走劇を演じたタップダンスシチー。はたしてタップが、そしてあのジャパンCが佐々木にもたらしたものとは──。10年の時を経て、今、改めてその舞台裏に迫る。(取材・文:不破由妃子)


◆デビューから2年がかりでのオープン入り

「デビュー前から、“絶対に重賞を勝たせなければ”と思っていた馬でね。この馬を走らせることができなければ、俺の調教師人生も終わりやな…くらいの気持ちでおったから」

 この言葉からもわかるように、佐々木にとってタップダンスシチーは、強い覚悟を持って臨んだ“運命の馬”。しかし、そんな佐々木を待っていたのは、その激しすぎる気性との長い長い戦いだった。

 デビューを控えた2歳秋、さっそくその気性の荒さが災いし、タップは舌の3分の2を噛み切るという重傷を負う。人間だったら生死にかかわる一大事だ。

「調教のときに放馬して、引手を踏んじゃってね。引手の先にはハミがあるでしょう。それで舌をザックリと切ってしまって。あれはビックリしたわ。当時から気性が激しすぎたからねぇ。ただ、重傷は重傷やったけど、人間ほどではないみたいでね。明け3歳の3月に、無事にデビューすることができて」

 佐々木が「気性が若かったから、雨に嫌気をさしてしまった」と振り返るデビュー戦(阪神芝2000m)は、6番人気9着。しかし、折り返しの新馬戦をきっちりと勝ち上がり、若駒S5着を経て、京都新聞杯に駒を進めた。

「当時は、勝って当然くらいの気持ちでいた。アグネスフライト(1着)、何するものぞってね(笑)。でも、のちのダービー馬やからね。3着だったけど、今考えれば、よく走ったなぁっていう感じやね」

 京都新聞杯3着という成績からも、早い段階で能力の片鱗は見せていた。が、しかし──。2勝目を挙げたのは、その5戦後の天竜川特別(900万下)。3歳の暮れだった。格上挑戦での勝利だけに、タップのポテンシャルの高さもさることながら、佐々木のこの馬に懸ける意気込みが伝わってくるローテだが、次の1勝までがまた遠かった。

 長期休養や降級を経て、ようやく1000万下を脱出したのが5歳の2月。2勝目から実に8戦を要したが、その間にも佐々木は、オープン特別や重賞への挑戦を積極的に行い、タップの可能性を信じて疑わなかった。

「上でもやれるんじゃないかっていう手応えがあって、なおかつ馬主さんが許してくれれば、俺はどんどん試していくから。タップに関してもそう。1000万でなかなか結果が出なくても、“この馬は重賞を勝てる”と思って使っていた」

 続く準オープン・御堂筋Sを連勝し、18戦目にして、ようやくオープン入り。すでにデビューから丸2年が経過していた。

「時間がかかったのは、ひとえに気性やね。坂路のモニターの向こうで、いつも“タップダンス”を踊ってた(笑)。パドックでも、一度もまともに歩いてくれなくてね。これがどっしりと歩けるようになれば本格化やなぁと思ってたんやけど、ようやく手応えを感じられたのが5歳の秋やったんです。時間はかかったけど、ようやくね」

佐々木晶三調教師

佐々木「手応えを感じたのが5歳の秋、時間はかかった」

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