2013年11月30日(土) 12:00
◆“幻”の東京オリンピック報告書の中に…
先週、東京の国立国会図書館で行われていた企画展示「名勝負!!」を見てきました。
その中身は、野球、サッカー、相撲、プロレスから囲碁、将棋に至るまで、さまざまな競技の名勝負を、当時の新聞や雑誌等の資料で振り返るというもの。競馬コーナーでは、シンザン対ミハルカス(1965年有馬記念)、ハイセイコー対タケホープ(1973年日本ダービー)、テンポイント対トウショウボーイ(1977年有馬記念)、オグリキャップ対ホーリックス(1979年ジャパンC)の4レースが紹介されていました。
とにかくどの競技のコーナーも見応え十分。時の経つのを忘れてタップリ楽しませてもらったわけですが、あれこれ見ているうちに、「これは新事実か?」と思わせるものに遭遇しました。
それを見つけたのは1940年(昭和15年)の東京オリンピックに関する展示の中。ご存知のとおり、このオリンピックは開催準備中に日中戦争が勃発、時局の悪化で中止に追い込まれ、“幻の大会”となってしまいました。その経緯は「第十二回オリンピック東京大会東京市報告書」(東京市編1939年刊)にまとめられています。今回の催しで展示されていたのが、同書に掲載された総合競技場(メイン会場)の完成予想図。これは、世田谷区駒沢にあったゴルフ場の敷地に建設する予定でした。開催中止で計画は“幻”に終わってしまいますが、戦後、その土地に国体会場が建設され、それを改修、整備した施設が1964年(昭和39年)の東京オリンピックで第2会場として使用されました。
で、問題はその解説文。「(競技場は)大会後は東京市直営の競馬場とする予定だった」と書かれていたのです。そんな構想、今まで聞いたことがありません。事実ならタイヘンということで、詳しく調べてみることにしました。
手始めに、国会図書館にデジタル資料(館内のパソコンで閲覧可能)として保存されている例の「東京市報告書」を読んでみました。ところが、ザッとページをくくってみても「跡地を競馬場に利用」なんていうことは書いてありません。もう一度ジックリ読み返してみましたが、そういう文言は一切なし。それらしい記述としては、「(大会後は)本市の直属競技場として市民一般の使用に供せらるる豫定であった」の一文だけでした。
どうやら、原稿を書いた方かパネルを書いた方が、「競技場」を「競馬場」と取り違えてしまったようです(ひょっとしたら競馬好きの方かも)。この件に関しては国会図書館の職員の方にお知らせしておきました。東京での展示は終了しましたが、28日以降は関西館に場所を移して再開されますからね。
今回は、“幻”の東京オリンピックで“幻”のままに終わったスタジアムの跡地を、競馬場として利用するという計画は、それ以上の“幻”だった、というお話でした!
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矢野吉彦
テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。