2013年12月12日(木) 12:00
何かが始まる、遥か見渡す遠いざわめき、いままた、胸さわぎとともに自由な道が迎えてくれる。スタンドの放送席でファンファーレを鳴らし、いざスタートという時の期待感を以前、ノートに記したものだが、若駒のタイトルレースには、こうした思いがよみがえってくる。この自分が見つけようとしている自由な道を、これから駆け出す若い競走馬が思い切り走って行くのだ。自分もその力強い走りと一体になるのだと。いい空気を吸い込んで、しっかりと声を張り上げる。とても懐かしい思いが甦るのだ。そして、これまで目の前を駆け抜けていった幾万のサラブレッド達は、私たち人間に生き抜く力、耐え抜く力を示してきた。そんな魅力があるから、ずっと見続けて来られたと言ってもいい。言葉にするとこんな風になるのだが、具体的なシーンを思い起こせば、もっとはっきりする。
朝日杯フューチュリティSには、これまでいくつもそんなシーンがあった。中でも直ぐ頭に浮かぶのが、平成18年のドリームジャーニーだ。15頭の最後方からゆったりと動き出し、大本命のオースミダイドウをローレルゲレイロが執拗に追い続け、中山の急坂を上り交わしにかかった瞬間、大外から14頭ゴボウ抜きしたドリームジャーニーが一気に追い込み勝利をつかんでいたのだった。
蛯名正義騎手が「軽く飛びました」と語っていたが、この自信は2走前の中山の芙蓉Sで一気の追い込みを決めていたことと、前走の東スポ杯2歳Sで、ゲートの中で落ち着きなく出遅れながら東京の長い直線を、それまでにない3ハロン33秒台の脚で3着まで追い込んで来たという事実に裏打ちされていた。そうした内面の心の動きはあとから分かるのだが、レースで受けた衝撃に、さらなる説得を加えてくれた。ポストサンデーサイレンスの第一世代が戦い、父ステイゴールドが2年目の産駒から初めてGI馬を出した2歳王者戦だったが、その遥か見渡す道は今も続いている。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。