2014年02月21日(金) 18:00 22
◆引退セレモニーに寄せて
2月28日の笠松競馬最終レース後に、ラブミーチャンの引退セレモニーが行われる。
昨年のJBC直前に発症した右前内側種子骨骨折からまだ完全には回復はしていないようで、残念ながら引退セレモニーでのお披露目は行われない可能性が高い。
ダート路線でもJRA勢のレベルが圧倒的に高くなった近年、8歳まで一線級で活躍したフリオーソは別格だが、ラブミーチャンは牝馬でありながら、2歳から6歳まで、JRA勢の牡馬に混じって互角に戦い続けたことはスゴイこと。
2歳時はJpnIの全日本2歳優駿まで制して5戦5勝。しかし蹄の弱さもあり、もっとも苦しんだのが3歳時で、地方重賞を2勝したのみ。4歳時もダートグレードではJpnIIの東京盃2着が最高という成績。5歳時の東京盃制覇は、2歳時以来じつに2年10か月ぶりのダートグレードのタイトルで、速くて強いラブミーチャンが復活した。そして6歳時はJpnIIIの2勝を含めて6戦5勝と、2歳時と同じようにほとんど完璧に近い成績で現役生活を締めくくった。
結果的に引退レースとなった盛岡・クラスターCのレース後の、柳江調教師の話が今でも強く印象に残っている。勝って嬉しいという様子はほとんどなく、「今は、なんとか無事にという段階で、北海道でお母さんにしないといけないので、あまり無茶もできません」と、とにかく無事に走れたことにホッとした様子だった。もしかしてラブミーチャンからも、すでにそうした雰囲気が発せられていたのかもしれない。
現在では中央と地方で調教施設に大きな格差ができてしまい、馬のレベルの開きはそうしたことも大きな要因となっているのだろう。ラブミーチャンが5歳秋の東京盃から6歳にかけて復活したのは、5歳以降の一時期、ノーザンファーム・しがらきで調教が行われていたということがあってのことかもしれない。
落ち込んだ時期があったとはいえ、2011年に創設されたスーパースプリントシリーズでは、4歳時から6歳時まで、まったく危なげなくシリーズファイナルの習志野きらっとスプリントを3連覇するなど、そのスピードは地方馬の中にあっては圧倒的なものだった。
生涯収得賞金2億5840万円は、デビューから引退まで地方に在籍した牝馬としては、おそらく歴代1位と思われる。ただ、3月5日のエンプレス杯がラストランと発表されているクラーベセクレタの賞金が目下のところ2億5325万円。3着以内なら、ラブミーチャンを上回る可能性がある。
斎藤修
1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。