柴田未崎へ

2014年02月22日(土) 12:00


◆「ミスター競馬の最後の弟子」

 もう「騎手」と書いていいのか、それとも免許が有効になるのは3月1日だから、今は「調教助手」と表記すべきなのか。微妙なところなので、今回は敬称略にしたい。誰のことかというと、3年ぶりに騎手として復帰することになった柴田未崎である。

 以前本稿に書いたように、私は彼がデビューしたころから「いいな」と思っていた。競馬を始めたばかりのころ、カッコよさにシビれた武豊や田原成貴に道中の雰囲気が似ていたからだ。

 今、古いシステム手帳を机から引っ張りだして確かめたところ、私が「週刊少年マガジン」の取材で、「ミスター競馬」と呼ばれた野平祐二の居宅を訪ねたのは1996年4月9日のことだった。タイムスケジュールの「午前11時」のところを丸で囲み、「西船」と書いてあるのがそうだろう。中山競馬場に近く、作家の石川喬司、佐野洋、三好徹、劇作家の寺山修司、スポーツライターの虫明亜呂無、慶応大教授(当時)の西野広祥、タレント(同)の大橋巨泉、プロ野球選手(同)の広岡達朗といった、錚々たる面々が競馬場の帰りに立ち寄って競馬談義に花を咲かせた「野平サロン」である。

「週刊少年マガジン」で武豊を特集し、表紙と巻頭の10ページほどだったと思うのだが、彼のすごさを紹介するという企画だった。武がナリタタイシンで勝った93年の皐月賞の分解写真を野平に解説してもらい、ひと通り取材が終わったときのことだった。

「今年デビューした新人騎手で、あなたが一番上手いと思うのは誰ですか」

 とミスターが私に訊いた。

 そうした質問に軽々しく答えていいものか迷いながら、私はひとりの名を挙げた。それが柴田未崎だった。

 ミスターは、騎手はフォームが綺麗なことはもちろん、普段からスタイリッシュでなくてはならないと考え、若手騎手の歩き方や靴底の減り方まで注意した人だ。

 自宅を「野平サロン」として開放したのも、そこに集まる文化人がそれぞれのフィールドに戻ったとき、どこかでちょっと競馬のことをしゃべったり書いたりしたことが、のちのちじわっと効いて、まだまだ「バクチ」と見られていた競馬が「スポーツ」として市民権を得るよう強く願っていたからだ。あの人がいなかったら、私が今こうして競馬の雑文を書いていることもなかったと断言できる。

 そういう人だから、私のような素人の目にも映える騎乗をすることもプロには必要だと考えたのか、以来、自身の管理馬のレースに柴田を起用することが多くなった。

 ミスター本人に確かめたわけではないので、たまたま私と会ったころとタイミングが一致しただけなのかもしれないが、柴田が「ミスター競馬の最後の弟子」と言っていいほど、教えを受けることになったのは確かだ。

 これまで私は、このミスターとのエピソードを書いたり、グリーンチャンネルの「日本競馬の夜明け」でしゃべったときも、「ある若手」としか言っていなかったが、今回、柴田が再受験して一次をパスしてからは、名前を明かすようにしている。

 これも本稿に記したが、先日、松山康久が調教師としてJRA通算1000勝を達成したとき、騎乗したのが彼と師弟関係で親戚筋にあたる後藤浩輝だったことが嬉しかった。

 アメリカや中国のスポーツ界ように、底辺人口の多さを強みとしてピラミッドの頂点をすくい上げるやり方は、日本人には向かないと私は思っている。そうではなく、徒弟制度のなかで人間教育をするとともに技能を磨き、世界に通用する職人を育てるやり方で、日本は世界の一流国となった。そうしたよさが残っているのが競馬界で、それをわかりやすい形で見せてくれたのが、松山による通算1000勝という偉業であり、勝ったときの後藤のGI級の喜び方だった。

 騎手というのは、アスリートでもあり、職人でもあり、そしてこれは「日本の騎手」ということになるのかもしれないが、歌舞伎役者のようなものだと私は思っている。例えば、市川海老蔵の「目力(めぢから)」は、3000人、4000人を集めてオーディションをして、彼のそれを凌駕する人間を見つけ出せるかというと、できないだろう。血を受け継ぎながら育まれていく力を、西南戦争で功があった薩摩藩士の園田実徳、その実弟の武彦七−武芳彦−武邦彦−武豊を見ていると、強く感じる。

 であるからして、入学希望者(=底辺人口)の多い外国の騎手学校出身者のほうが上だ、と決めつけるのはおかしいと思っている。

 日本よりさらに人口の少ない韓国のスポーツ界も、早めに少人数を選抜し、専門的な訓練をみっちり受けさせて世界で戦える人材を養成するシステムをとり入れている。

 世界一の売上げを誇るJRAが巨費を投じてつくり、維持している競馬学校という施設に、難しい試験をパスして入り、厳しい自己管理を求められる3年間の訓練に耐えてきた人材が、優秀でないわけがない。だが、卒業した彼らはまだ18歳かそこらなので、厩舎に入ってからも育成の継続が必要だ。そのあたりを、特に成績のいい調教師は自分たちの責務だと認識して担ってほしいと思う。

 繰り返しになるが、柴田未崎は「ミスター競馬の最後の弟子」である。

 本人もそれを誇りに思って、先日のインタビュー(実は、私が彼と初めて言葉を交わしたのは、今月の合格発表の日だった)でも話していたように、ひと鞍ひと鞍を大切にして、焦らず、頑張ってほしい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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