2014年03月13日(木) 12:00
◆少にして学べば壮にして為すことあり…
何がいけないと言って、こだわりを持ち続けることほどつまらないことはない。ああすればよかった、こうすればよかったと悔いていると、この先の幸運も遠ざけているようでならないのだ。福を呼び込む雰囲気づくりは、どういうところから生まれるのだろうか。
クラシック戦線で圧倒的な存在となった、弥生賞を勝ったトゥザワールド、チューリップ賞のハープスター、この2頭をどう受け止めたか。分け隔てなく、そのまま全てを包み込む気持があれば、やがて慈しみの心がわいてくる筈だ。こだわりのない広い心がそうさせる。そして、目の前を疾走する馬を我が身にひきあてて思いやりの心さえ見えてくるはずだ。一切衆生は全てひとつの世界にあるのだから、他を慈しむ心こそ、あるべき姿と気がつく。ずっと自由に、自在に、これからのレースを見ることが出来るのだ。つまり、大きな心でクラシック戦線を見る、ぐっと楽になること請け合い。大本命は大本命として受け止め、傍らで虫のいい空想もするのだ。慈しみの心をそこに持っていってもいいではないか。どうにかなる、どうにかしようと一日一日を迎え、それでもどうにもならないのが日常だから、せめて競馬にと思う。少しでも上へ上へと精進する思い、どの陣営にもあるのだ。
若い頃にこんな言葉に出会い、ずっと大切にしてきた。「少にして学べば壮にして為すことあり。壮にして学べば老にして衰えず。老にして学べば死して朽ちず」と。競馬は人生よりずっと短期間で結果が出るから、こんな悠長にしてはいられないが、そこにある心は同じと考えていいだろう。どんな結果であろうとしっかり受け止め、次へのステップアップに結びつけるべく努力する。これから本番まで、その精進が続くのだ。
そして一方で、かつての桜花賞馬キストゥヘヴンが中山牝馬Sで有終の美を飾り、現役にピリオドを打ったように、春はターフを去る牝馬もいる。競馬が見せてくれるものは、広く大きいのだが、全てを包み込んで福を呼び込みたい。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。