馬はなぜ走るのか

2014年03月22日(土) 12:00


◆武豊騎手がバンブーメモリーについて語った言葉

 一度でもレースを経験した馬は、追い切られると、競馬が近いことを理解するという。20年ほど前だったと思うが、小桧山悟調教師がそう話していた。

 では、追い切りからレースまでの間隔に関してはどうなのか。

 今は、土日どちらのレースに出る馬も水曜日に追い切られるのが普通だ。私が競馬を始めた1980年代後半はしかし、まだ木曜日の追い切りも多かった。土曜日の競馬に出るなら水曜日、日曜日の競馬に出るなら木曜日に追い切るようにすれば、「追い切りから3日後に競馬」というリズムを馬が覚えるから理に適っているように思うのだが、どうなのだろう。

 それとも、馬にしてみると、

 ――ん? 別に3日後でも4日後でも構わないよ。

 という感じなのだろうか。

 今週は金、土、日と開催がある。金曜日のレースに出る馬は、やはり、火曜日に前倒しして追い切られるケースが多くなっているが、全部ではない。水曜追いも多いし、日曜追いのあと速い時計を出していない馬もいる。これだけバラつきがあるということは、人間は答えを出し切れていないということだろう。

 追い切りから中何日でレースに出るのが一番しっくり来るのか、馬に訊いてみたいところだ。

 今週、金曜日にも競馬があるのは、その日が祝日で、高い売上げが見込まれるからだ。つまり、人間の都合で馬が変則日程に付き合わされているわけだが、考えてみれば、サラブレッドというのは、「速く走る生き物がほしい」という人間の思いによって先祖も子孫も決められてきたのだがら、人間の都合に合わせる力も総合力のうち、ということなのか。

 そもそも、馬はなぜ走るのか。

 瞬間的な速さやスピードの持続力などをトータルして評価すると、サラブレッドは地上最速の動物と言っていいだろう。

 先述したことに通じるのだが、速く走る生き物がほしいという人間の思いによって生まれてきたということはつまり、馬は、速く走るために生まれてきたと言える。走るために生まれてきたのだから走る、という結論の出し方はいささか乱暴だろうか。

 走るのが好きな馬もいれば、嫌いな馬もいる。

「こいつは、自分の足が速いことをわかっていて、それを見せたくてウズウズしているんですよ」

 かつて武豊騎手が、自身の手綱でスプリンターズステークスを勝ったバンブーメモリーの顔を撫でながら、そう話していた。

 バンブーメモリーは、走りたいから走っていた。いつ、どんなところで走るかを自分で決めることはできなかったが、とにかく、人間がいくらゆっくり走らせようとしても、自分のスタミナも考えず、バテバテになるまで突っ走った。

 動物学的に言うと、馬は、肉食動物から逃げるために速く走る遺伝子が研ぎ澄まされてきた、ということになるのかもしれない。となると、馬が走る動機は肯定的なものではなく、生きるために仕方なく走っている、ということなのか。

 といったことをすり合わせると、「馬はなぜ走るのか」という問いかけは、「人はなぜ働くのか」というそれに近いことがわかる。

 私は、大人が働くことに理由はいらないと思っている(そうではなく、自分が仕事をすることに理由や意味づけを求める人もいるようだが)。自分が持っている何らかの能力を引き出して、自分や周りを食わせる。そういう当たり前のことを繰り返しているうちに年をとり、オヤジからジジイになり、前にも増して話が長くなり……と、進化だか退化だかわからない方向に進んで行く日々でいい、と思っている。

 同じように、理由はどうあれ、速く走る能力があるのだから、それを引き出す。そうして自分自身と周りの人間たちを、馬は食わせている。これは「馬はなぜ走らさせるのか」の答えでもあるのだが、知能の高い動物は個体差が大きく、一頭一頭「走る」ということのとらえ方が異なるのだし、サラブレッドの場合は社会的な地位と役割を(それらと同時に名前も)与えられるわけだから、「走る」と「走らされる」という分け方が成立しないとも言える。人間が「働く」ことと「働かされる」ことは、違うとも同じだとも言えるようなものだ(ゆえに、さっき「すり合わせる」と表現した)。

 人間は、持っている能力を出そう、伸ばそうと努力している対象に惹かれるようにできているらしい。だから、仕事に打ち込んでいる人をカッコイイと思い、速く走っているサラブレッドを美しいと感じるのだろう。

 何を書いているのか、だんだん自分でもよくわからなくなってきた。

 来月、3年ぶりに単行本を上梓する。

 武豊騎手の本だ。

 発売日までひと月を切ったというのに、まだ書いている。

 私はなぜ書くのだろうか。仕事をするのに理由はいらない、などと立派なことを言っておきながら、自分のことになると考えてしまう。さっき切ったばかりのツメをまた切りながら、

「おれ、益子焼の作家になろうかな」

 などと、益子焼の窯元が聞いたら怒りそうなことを呟いている。

 人間というのは、実に弱いものだ。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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