2014年04月18日(金) 20:00
▼第一回皐月賞の勝ち馬・ロックパーク。鞍上は稲葉幸夫
◆横浜競馬場のスタンドからは海が見えた
第一回皐月賞は1939年、横浜競馬場(根岸競馬場)で「横濱農林省賞典四歳呼馬」として行われた。距離は1850mの右回り、舞台の横浜競馬場はスタンドから見ると、向こう正面の先に大海原が広がり、横須賀まで一望できた。ただし幅員20mと狭く、坂も急で乗り難しいコースだったという。
この難コースでタイトルに挑んだのが稲葉幸夫。のちに調教師としてダービー・オークスを制し殿堂にも入る競馬界の巨星だが、39年の当時は30歳。同年に中山大障害連覇を達成しており、騎手として脂がのってきたところだった。
コンビを組んだのは、兄稲葉秀男厩舎のロックパーク。父はダービー馬スゲヌマを出した名種牡馬のプライオリーパーク、母ナスランという血統の栗毛馬である。手前をかえるのが下手で、さらに脚部不安もあったため当初の予定よりもデビューが遅れていた。
調整の遅れが嫌われたのか、横浜開催のデビュー戦は6頭中の5番人気。それでも優勝馬から1馬身差の2着と、素質の一端は見せた。続く2戦目はさすがに2番人気に支持され、重馬場を逃げ切って8馬身差の大勝。返す刀で4月29日の横濱農林省賞典に向かうことになる。
◆ロックパークの単勝配当は法定上限に
8頭立てとなったレースで、人気は桜花賞(当時は中山四歳牝馬特別)馬ソールレディと、2着馬ハレルヤという桜花賞組に集中。1番人気には捲土重来を期すハレルヤが支持された。激しいマッチレースとなった第一回桜花賞のレースレベルが評価されたということだろう。
対するロックパークといえば、単勝票数わずか1票のブービー人気。単勝総数が5196票、ハレルヤが2325票だから、票数計算をすると1番人気の2325分の1の支持率ということになる。さらに悪いことに、ロックパークに脚もとの不安が再燃していたという。手綱をとった稲葉はレース前の心境をこう振り返っている。
「向こうずねを痛がって、温めたり冷やしたりしたけど、どうもよくない。いつ転んでもおかしくないような状態だったから、乗るのが嫌で嫌でしょうがなかった」
おそるおそる馬場に出た稲葉は・・・
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