週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2003年11月10日(月) 12:08 0

 11月8日(土曜日)、ドンカスターで行われた開催をもって、今季の英国における芝の平地競馬が閉幕した。それはすなわち、今年6月に今季一杯での引退を表明していたパット・エデリー騎手にとって、英国で騎乗する機会が全て終了した事を意味している。

 チャンピオンジョッキーのタイトルを獲得すること11回。英国内における通算勝利数が歴代第2位の4632勝という、歴史に残る名騎手パット・エデリー。現役最後の日となった8日のドンカスターでは、8レースのうち5レースに騎乗。4頭目まで残念ながら勝ち星を挙げることが出来ず、迎えた距離12ハロンの準重賞サールビーSでは、最後の騎乗はぜひ自分の厩舎の馬でと、リーディングトレーナーのマイケル・スタウトが用意したガマットの手綱をとったエデリー。前走はG1愛セントレジャー2着と、ここでは馬が明らかに格上であることに加え、去りゆく名手に惜別のエールを送るファンの熱い後押しがあって、ガマットは単勝1.5倍という超1本被りの人気となった。

 ある種騒然とした雰囲気の中で行われたサールビーSで、ガマットは残念ながら3着と敗れた。だが、引き上げてきたエデリーを観衆は万雷の拍手で迎え、長年にわたる功績に惜しみない称賛を送ったのである。

 パット・エデリーと言えば日本では、第6回ジャパンCにジュピターアイランドとともに来日。グレイヴル・スターキーの乗るアレミロードと壮絶な叩き合いの末に制したレースで、一気に我々の心を奪った。まさに剛腕というに相応しい強い腕っぷしで馬の首筋をしごくだけでなく、上体を起こし気味にして、膝とくるぶしを基点にがっしりと固定した騎座でぐいぐいと騎乗馬を前進させるスタイルは、当時日本のジョッキーの何人かが真似をしようとして話題となったほどだった。もっとも、形だけ真似をしようとしてもうまく行くはずがなく、和製エデリーの姿は立ち所に消え去ることになったのだが。

 さて今後のエデリー。『パット・エデリー・レイシング・クラブ』という、自らの名を冠した共同馬主組織の運営にあたることになっているが、当面は世間が「騎手エデリー」を放っておかず、マスコミに登場したり、他国のレースに招待されて騎乗したりという、多忙な日々を送ることになりそうだ。

 まずは今週末、今季のヨーロッパにおける最後の重賞が3つ行われるイタリアのキャパニール競馬場に出向き、何鞍か騎乗することになっている。

 更に12月7日にはモーリシャスに遠征し、招待競走における騎乗が決まっている。12月7日と言えば、実は日本では、ワールド・スーパー・ジョッキー・シリーズ(WSJS)の開催される週である。WSJSと言えば、基本的には各国における前年のリーディングジョッキーを招待し、世界最高の騎手を決めようという試みで、それはそれで権威も人気もあるのだが、例えば今年のような場合は、特例でパット・エデリーを招待しても良かったと思う。

 1999年にアメリカでラフィット・ピンカイJrが通算勝ち星の世界レコードを樹立した時にも、あと何年乗れるかわからないピンカイの騎乗を日本で見たいものだと思ったのだが、残念ながら彼は今年落馬事故がもとで現役を退き、その夢は永遠にかなわぬものとなってしまった。

 WSJSの本来の主旨とは反するかもしれないが、今後の柔軟な対応を期待したい。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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