【ダービー特別企画】当事者が語るGI制覇の舞台裏〜ジャングルポケット・角田晃一調教師Part1

2014年05月28日(水) 18:00

角田晃一調教師

▲第68代ダービー優勝ジャングルポケット・角田晃一(撮影:下野雄規)

今もなお、最強世代との呼び声が高い98年生まれの男馬たち。日本ダービーでその頂点に立ったのは、“チーム・フジキセキ”が送り出したジャングルポケットだった。アグネスタキオン、クロフネとの最初で最後の3強対決となったラジオたんぱ杯3歳S、スタートで大きく躓き、3着に敗れた皐月賞、そしてライバル・タキオンの戦線離脱──頂点を極めるまでの日々を主戦・角田晃一が振り返る。(取材・文:不破由妃子)

◆ラジオたんぱ杯3歳S、最初で最後の3強対決

 00年12月23日。有馬記念を翌日に控えたこの日、阪神競馬場を舞台に後々まで語り草となる“3強対決”が行われた。ラジオたんぱ杯3歳S(現・ラジオNIKKEI杯2歳S)。“クラシックへの登竜門”といえば、長らく朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)を指す言葉だったが、当時はすでに、このラジオたんぱ杯3歳Sにすっかりお株を奪われていた。

 単勝オッズ1.4倍のダントツ1番人気に支持されたのは、折り返しの新馬戦、エリカ賞と圧倒的なパワーで他馬を子ども扱いにしてきたクロフネ。外国産馬へのクラシック開放を翌年に控え、名付け親である金子真人オーナーの期待通りにファンやマスコミの耳目を集める存在となっていた。

 2番人気は、3週間前に新馬戦を勝ち上がったばかりのアグネスタキオン。この馬もまた、前年のダービー馬アグネスフライトの全弟という血統背景に加え、出遅れた新馬戦でケタ違いの末脚を繰り出し、ポテンシャルの高さは疑いようもない1頭だった。そして3番人気は、札幌3歳S(現・札幌2歳S)の覇者、ジャングルポケット。その札幌3歳Sでは、随所に若さをのぞかせながらも楽に1分49秒6のレコード(当時)をマーク。こちらもまた、早くから“来春のクラシック候補”として、新聞紙上を賑わせていた。

角田晃一調教師

▲3強と呼ばれたクロフネ・ジャングルポケット・アグネスタキオン

 結果的に、最初で最後となったこの3強対決。角田晃一はこう振り返る。

「師匠の渡辺(栄)先生からは、中団くらいから競馬を進めていくようにという指示がありました。その通りにレースは運べたんですが、勝負どころでクロフネを射程圏に入れた瞬間、ものすごい速さでタキオンにかわされて。それはもう、ものすごい切れ味でしたね」

 道中7番手(12頭立)から、3コーナーを過ぎたあたりで進出を開始したアグネスタキオン。4コーナーでは早くも2番手。4、5番手からじっくり進めたジャングルポケットの上がり34秒5に対し、自ら動いて長く脚を使ったはずのタキオンの上がりが34秒1。抵抗する間もなくかわされ、そこからさらに突き放された。走破時計2分00秒8は、現在も破られていない阪神芝2000mの2歳レコード。1番人気のクロフネは完全に切れ負けし、ジャングルポケットからさらに1馬身1/4差の3着に終わった。

「ジャングルポケットにとって、2000mはちょっと忙しいかなという感じがあったのはたしかですが、それにしても一瞬の切れ、瞬発力は、タキオンがズバ抜けていましたね」

 と、当時を振り返り、アグネスタキオンの強さを素直に称える角田。しかし、結果的に相手が悪かったというほかなく、ジャングルポケットも2歳の時点で相当なレベルにあった。

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◆渡辺師の思い“弟子の角田をダービージョッキーに”

 デビューは00年9月2日、札幌芝1800m。“伝説の新馬戦”として語り継がれている一戦だ。角田が夏場は小倉を主戦場としていたため、千田輝彦(現調教師)が手綱を取り、初戦の人気は5番手。稍重の馬場で1000m通過63秒7という超スローペースを2番手から展開し、2着馬の追撃をクビ差振り切った。走破タイムは、1分52秒0。展開や馬場を考えれば優秀な時計だったが、それ以上にこの一戦が“伝説”となったのは、出走馬8頭の“その後”にある。

 このとき、5着だったメジロベイリーと2着のタガノテイオーが同年暮れの朝日杯3歳Sでワンツーを決め、3着ダイイチダンヒルが翌3月の若葉Sに勝利。7着だったロードアンビションも最終的に3勝を挙げたほか、8頭の出走全馬が勝ち上がったのだ。1勝もできぬまま淘汰されていく競走馬が圧倒的に多いことを考えると、これはもはや奇跡に近い。トウショウボーイ(1着)、グリーングラス(4着)、シービークイン(5着)を輩出した76年1月13日の新馬戦(東京芝1400m)に匹敵する“伝説の一戦”といっていい。

 続く札幌3歳Sも千田の手綱で快勝(2着は再びタガノテイオー)。このときの1番人気は、のちの牝馬2冠馬テイエムオーシャン(3着)。今振り返ってみてもこの年の札幌デビュー組は、これ以上ないほどのハイレベルなメンバーがそろっていた。

「本当に僕が乗れるのかな、と思っていた」という角田だが、3戦目のラジオたんぱ杯からは予定通り、その手綱は角田の手に。そこには師匠である渡辺の“弟子の角田をダービージョッキーに”という並々ならぬ思いがあった。

角田晃一調教師

▲師匠・渡辺栄調教師の思いを受けての“ダービー”への戦いだった

「千田さんからは走ることはもちろん、『距離が延びて楽しみな馬』だと聞いていました。粗削りな部分を多分に残しながらも結果を出してくれたことで、札幌の2戦が終わった時点で、ダービーから逆算したローテーションが組まれていたと思います。“男馬はダービー、女馬は桜花賞”というのが、渡辺先生の信念でしたからね。年明けに遠征を伴う共同通信杯を使ったのも、左回りを経験させるため。東京競馬場に早めに入厩して、ダービーの予行演習じゃないですけど、パドックから鞍鞍所まですべて回って、下見を済ませたくらいですからね」

 ラジオたんぱ杯は完敗だったとはいえ、タキオンに次ぐクラシック候補として、揺るぎない評価を得ていたジャングルポケット。共同通信杯の単勝1.4倍という圧倒的な支持が、何よりそれを物語っていた。レースは『1800mはどうかな…』という角田の心配をよそに、残り1ハロンまで持ったまま。そこから大きく内にモタれながらも馬場の真ん中を突き抜けて、2馬身差の圧勝を飾った。粗削りな走りは逆にその強さを際立たせ、誰もが“これは強い!”と確信したレースだった。
 
「初めての左回りということもあって、3コーナーを真っ直ぐに行こうとしたり、まだまだ荒っぽい競馬でしたね。あっちにフラフラ、こっちにフラフラという感じでね。馬房でもヤンチャでしたし、ほんとに子供っぽくて。僕はフジキセキという化け物の背中を知っているので、そのフジキセキと比較してしまうと、ジャンポケはまだまだという感じでしたね。それでいて結果を出していたわけですから、ある意味、すごい馬なのかもしれませんが」(Part2へつづく・文中敬称略)

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