2014年05月30日(金) 12:00 18
◆メジロシャレードの子供を手掛けたい
ショウナンラグーンの母・メジロシャレード(父マンハッタンカフェ)は、メジロドーベルの娘ということで期待が大きかった。
「ドーベルの子は牝馬が何頭かいますけれど、ウチの厩舎に来た中ではこの馬が1番だったと思います」
そのシャレードは、新馬戦は3着と敗れるが、2戦目でレース振りが一変し、未勝利戦を快勝した。「この馬で桜花賞を目指そう」、師にそう思わせるほどの勝ちっぷりであった。
だがその夢は、直後に敗れることとなる。初勝利を挙げた新潟から美浦の自厩舎に戻ったシャレードは、雷の激しい音に驚き、馬房の中で暴れて腰を痛めてしまったのだ。これが思った以上の重傷で、復帰を果たせないまま競走馬登録が抹消され、繁殖入りとなった。
「ドーベルの勝てなかった桜花賞を」とまで夢を膨らませたシャレードだっただけに、その子供を手掛けてみたいという気持ちが大きかった。だが2011年にメジロ牧場が解散してしまい、その願いが叶うがどうかは定かではなくなった。
繁殖入りしたメジロシャレードはシンボリクリスエスを配合され、2011年2月23日に黒鹿毛の牡馬を出産する。この馬が、のちのショウナンラグーンだ。
同馬は翌年のセレクトセールに上場されることになり、大久保師はショウナンの国本哲秀氏にオーナーになってくれるよう頼み込んだ。国本氏もまた同馬を気に入り、競り落とすことに成功した。シャレードの子を手掛けたい・・・大久保師の願いが1つ叶った。
▲メジロドーベルの引退式(撮影:高橋正和)
◆勝ちきれない歯がゆさ、なんとしてもダービーへ
「雰囲気があって良い馬でした。トモに甘いところがあって力強さがまだ足りなかったけれど・・・
netkeiba特派員
GIの注目馬にスポットを当て、主戦騎手や管理調教師を独占取材するnetkeibaのスペシャルインタビュー。GIに向けた意気込みや中間の調整過程、レース後に直撃し、戦いの舞台裏にあった知られざる真実を語っていただきます。