週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2003年11月25日(火) 12:30

 南アフリカのジンバブエ産まれという異色のスター牝馬イッピトンビの引退が発表された。

 6月28日にチャーチルダウンズで行われたG3ロカストグローヴHを目前にした最終調整で、自ら脚をぶつけて左前脚に軽傷を負ったイッピトンビ。大事に至らず、ロカストグローヴHに出走して快勝したものの、その後も傷跡の腫れが引かず、患部が裏筋の微妙な部分に近いことから、予定されていた7月26日のG1ダイアナHから8月16日のG1ビヴァリーディーSというプランを白紙に戻して、治療に専念すべく休養に入っていた。

 その後、年明けにフロリダで行われるレースを叩き台に、3月のドバイワールドC開催遠征を目標に調整が再開されていたイッピトンビだったが、ここへ来て再び脚部不安が発生。管理するエリオット・ウォルデン調教師によると「4肢すべての球節が熱を持つ」状態となり、詳しい検査を受けたところ「管骨に炎症を起こしている」ことが判明。少なくとも1ヶ月は調教を休まざるを得ないことになり、大目標のドバイには日程的に間に合わないことから、このまま現役を退くことになったものだ。

 1998年10月10日にジンバブエで産まれたイッピトンビ。3歳の春から夏にかけてジンバブエで5戦4勝の成績を挙げた後、隣国南アフリカに殴り込みをかけ、3歳秋から冬にかけて南アフリカで、この国のチャンピオン決定戦であるG1ダーバンジュライHや、G1南アフリカ・フィリーズ・ギニーズ等を含めて5戦4勝の成績を挙げ、見事に3歳牝馬チャンピオンの座に輝いた。

 その後、アメリカの共同馬主組織チーム・ヴェイラー、ケンタッキーのウィンスター・ファームの2者が、権利の一部を買収。元からの馬主である南アフリカのサンマーク・パートナーズとの3者共有となったイッピトンビは、4歳秋、南アフリカのマイク・ドゥ・コック厩舎所属馬のままドバイでキャンペーンを行い、ここでもドイツから遠征してきた強豪パオリーニらを斥けたG1ドバイデューティーフリーHを含めて3戦3勝という、無敵の快進撃を続けた。

 その後移籍したアメリカでは、ロカストグローヴHが唯一の実戦となったイッピトンビ。通算14戦12勝、通算収得賞金153万ドルで、現役生活にピリオドを打つことになった。所有する3者は、来年春の種付けシーズンでイッピトンビにアメリカのトップサイヤーを交配。受胎させた上で、来年11月のキーンランド・ノヴェンバーセールに上場するプランを明らかにしている。

 よほど高額にならない限り、ウィンスター・ファームが引き取ることになるはずだが、そうやってマーケットに価格を決めてもらわない限り、値段の付けようがないほど価値の高い牝馬であることは確かだ。

 ナドアルシバのパドックで見た、いわく形容しがたいオーラをたたえた彼女の資質が、産駒たちに継承されることを願ってやまない。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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