シルポートの始まりはエプソムカップだった。

2014年06月12日(木) 12:00


シルポートは、8歳の3月に中山記念を逃げてクビ+ハナ差で3着した。8人気だった。

G2(読売マイラーズC)2勝、G3(京都金杯)1勝をすべて逃げ切りで勝ったシルポートだけど、重賞馬券圏内は5歳時のエプソムカップ2着が最初だった。もちろん逃げて2着。

3歳1月に新馬デビュー(3着)して、8歳6月の宝塚記念(10着)まで、息の長い活躍をしたシルポートだけど、逃げて生きるという決意のきっかけとなったのは、4歳5月の東京芝1800・むらさき賞で逃げて2着したときだったように思える。

それまでで逃げたのは未勝利を勝った6戦目の1度きり。他はすべて先行競馬だった。
「先行してそこそこの競馬をしていたけれど、未勝利を勝ちきれず、仕方なく逃げて勝った。でもできれば逃げ馬にはしたくない。だからその後も先行競馬にこだわった」
そんな感じが過去歴からは窺える。実際、未勝利勝ち後、先行して2勝をあげている。

むらさき賞は1600万条件2戦目だった。
ここで未勝利勝ち以来の逃げに出て、2着した。そして次走も逃げて、今度は1着した。
「逃げれば強いであろうことはわかっていた。けれどなかなか逃げに踏み切れなかった。しかし上級クラスでは封印していた武器を駆使しないと闘いにくさも感じたのかもしれない。だから逃げの宝刀を抜いた」のかもしれない。

事実、そこから逃げはじめ、途中2戦だけ先行を挟みながら(惨敗)、勝ったり負けたり負けたり勝ったり負けたりしながら逃げを磨いていった。

初の重賞出走は5歳時のマイラーズC。その後マイラーズCを2勝しているけれど、そのときは逃げて12着だった。
初めて重賞で馬券圏内に入ったエプソムCはマイラーズCから3戦目だった。

10年・エプソムC
1着セイウンワンダー 1:46:1
2着シルポート ハナ差
3着キャプテンベガ ハナ差

シルポートは1着セイウンワンダーとタイム差なしの2着だった。

それ以後のシルポートの活躍は前記した通り、いや前記した以上かもしれない。
マイラーズC2勝、京都金杯1勝だけでなく、京王杯SC2着、中山記念2着、3着と逃げて見せ場を作った。8人気で3着した中山記念は8歳時だった。

とにかく、
シルポートは5歳時にエプソムCを逃げて2着したのが、ある意味ではじまりだったのではないか? 
と言いたいわけだ。

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フェスティヴタローはシルポートになれるか
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フェスティヴタローの戦歴を眺めているとシルポートになれるような、なれないような、なれないような、なれるような、そんな気がしてしょうがない・・・

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かしわでちょうほう

競馬専門誌・競馬王の元本紙予想担当。今は競馬王その他にて、変な立ち位置や変な隙間を見つけて、競馬の予想のようなものを展開中のニギニギ系。 著書はなし。最新刊「グラサン師匠の鉄板競馬 最前線で異彩を放つ看板予想家の鉄板録」に再び間借りして、4年ぶりに全重賞・根多の大百科的なものを執筆。

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