2014年07月30日(水) 17:58 88
あのときはジョッキーを辞めなくて良かったと本当に思いました。障害とはいえ、大きいところを勝つとやはり目立ちますよね。だから僕にとっては、あのグランドJを勝ったこともすごく大きかったです。
あの年は、田中剛厩舎のマジェスティバイオでも重賞を2つも勝たせてもらいましたね。僕が障害に乗り始めたころ、剛先生はまだバリバリの現役だったのですが、「俺はほかがいて乗れないから、お前、あの馬に乗れ」と言って、いい馬をたくさん回してくれたんです。一から障害馬を作るのはすごく大変なことなのですが、それも剛さんがいろいろと教えてくださって。本当にお世話になりましたし、勉強になりました。
マイネルネオスでの好騎乗をきっかけに、平地でも岡田繁幸率いるビッグレッドファーム、サラブレッドクラブ・ラフィアンの有力馬への騎乗が次々と舞い込むようになる。もとをたどれば、ミルファームの社長・清水敏がつないだ縁。改めて、ダイイチミラクルの北陸S2着が、ジョッキー・柴田大知の風向きを変えたことを実感する。
2012年には、コスモオオゾラで挑んだ弥生賞で、1997年のエアガッツ以来となる平地重賞を制覇。中山グランドJの連覇もはたした(マジェスティバイオ)。
ネオスもオオゾラも、ずっと前の出来事という感じがするんですが、最近のことなんですよね。それだけ置かれた状況が一変したということかもしれませんね。なにしろ勝ち星ゼロからの再スタート。まさかこんなに勝たせてもらえる日々がまたくるなんて…。こうして振り返ると、あきらめなくて良かったと心から思います。それから、一生懸命にやっていれば、必ず見ていてくれる人がいるんだなって改めて思いますね。いろんな方が助けてくださったからこそ、今があるんだなって。恩人といえる方がたくさんいることを、今は幸せに思います。
僕はもともと、何でもあきらめが早いほうだったんですが、その点は、粕谷先生とはまた別の栗田厩舎の助手さんに鍛えられたんです。その助手さんは、もう競馬界を辞められて別の仕事をされていますが、フリーになって、また手伝わせてもらうようになった頃でしたが、誰もいなくなった薄暗い厩舎で、「お前はすぐにあきらめる。何回失敗したっていいじゃないか」と、何度も何度もお説教をされました。「普通の人なら3回であきらめてしまうかもしれないが、その時点で成功に近づいているかもしれないんだから、4回、5回と続ければうまくいくかもしれないだろ? そんな感じでいいんだよ」って。その言葉がすごく印象に残っています。・・・
netkeibaライター
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