2014年07月30日(水) 18:00 31
とにかく福永への注目度がすごかったですからね。そこにたまたま女性ジョッキーがいて、僕たち双子がいて。注目されているのを自覚するにつれ、一時的な話題性で終わってしまうのは嫌だな、そのぶん一生懸命頑張らなくてはいけないと思い始めました。とにかく同期には負けたくなかったですね。
とはいえ、12期生はすごく仲が良かったんですよ。厳しい学校生活を一緒に過ごすうちに、自然とそうなったというか。期によっては仲が悪かったという話も聞きますが、僕にはなんでそうなるのかわからないくらい、僕らは団結していたと思います。今でも同期の絆は強いです。
美浦・栗田博憲厩舎からデビューした大知は、3月31日の中山5R(3歳未勝利)で初勝利。自厩舎のライトオンファイアを駆り、1番人気に応えての快勝だった。初勝利こそ同期で7番目だったが、5月3日・新潟メインの粟島特別(4歳上500万)をヤマニンサイクロンで逃げ切り、特別勝ちでは一番乗りを決めた。
同期がみんな優秀だったので、1年目は負けたくない一心でしたね。だから、一番最初に特別を勝てたことがすごくうれしかった。
栗田先生は、それはそれは厳しい方でした。それこそ箸の持ち方からカーテンのたたみ方まで細かく注意されて、当時は「なんでこんなことまで怒られるのかな」と思っていましたが、今思えば当然なんです。自分は本当に何も知らなくて、何もできていませんでしたからね。振り返ってみても、当時の自分は本当にひどかった(笑)。仕事のなかで、馬主さんと接する機会もありますし、いつ誰に見られているかわからない世界。そういうことも踏まえて、私生活から日常の細かい所作まで、厳しくしてくださっていたんだと思います。
▲新人の大知を厳しく指導したという栗田博憲調教師
1年目は27勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞(関東新人騎手賞)を受賞。同期では福永の53勝、和田の33勝に次ぐ勝利数だった。10月には、翌年の牡馬クラシック戦線を賑わすエアガッツと出会い、未勝利、きんもくせい特別(3歳500万)を2連勝。朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)から翌年のダービーまでは横山典弘が手綱を取ったが、再びコンビを組んだ1997年のラジオたんぱ賞で重賞初制覇を決めた。
内側の馬場が悪いから外から行こうとか、折り合いに気を付けながらジワッと上がっていこうとか、事前に先生といろいろ作戦を練って臨んだレースでしたが、本当にその通りになって。重賞を勝てたことはもちろんですが、思った通りの競馬ができて、すごくうれしかったのを覚えています。もう17年も前の話ですが、今でもエアガッツ、エアガッツって言われるんですよね(笑)。それだけあの勝利をみんなが覚えてくれているんだなって。
2年目も順調に勝ち星を積み重ね、9月末の時点で早くも前年の勝利数を更新していた。しかし──10月中旬、大知の騎手人生が大きく変わる決定的な出来事があった。師匠の栗田に結婚の意思を伝えたところ、これに栗田が大反対。にべもなく破門となったのだ。・・・
netkeibaライター
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