2014年09月23日(火) 18:00 202
▲「渡辺牧場里親の会」の第1号馬・セイントネイチャー
渡辺はるみさんのご主人で牧場長・一馬さんの祖父様が軍馬の生産を始めたのが1931(昭和6)年と、渡辺牧場の歴史は古い。競走馬の生産をするようになってからは、高松宮記念(GII)や京都新聞杯(GII)など重賞4勝し、有馬記念(GI)では3着が3回とそのもどかしさが人気だったナイスネイチャ(セン26)や、クリスタルC(GIII)勝ちのセントミサイル(セン24)など中央競馬の重賞ウィナーを5頭輩出してきたが、2011(平成23)年に、引退した競走馬や乗馬、休養馬を預かる養老牧場として新たな出発をした。
引退馬協会のフォスターホースとして養われている馬(ナイスネイチャ、セントミサイル、ウラカワミユキ)や、ナイスネイチャとともに放牧されているメテオシャワー(セン19)、名牝ベガの息子のキャプテンベガ(セン11)、今年6月に30歳で亡くなったコーセイ(牝)のように個人オーナーが所有の馬たちの他、渡辺牧場で立ち上げた「渡辺牧場里親の会」の第1号馬・セイントネイチャーがいる。渡辺牧場のホームページにも書かれてあるが、当初はるみさんは生産馬ではないこの馬を引き取ることにためらいがあったというが、セイントネイチャーが渡辺牧場での余生が約束されるにあたっては、不思議な運命の導きががあったのだった。
セイントネイチャーは、ナイスネイチャの息子として1998年4月25日に浦河土肥牧場に生を受けた。この牧場は偶然にも渡辺牧場の隣にある。ここにも運命を感じる。競走馬として栗東の松永善晴厩舎からデビューし、3勝を挙げた。引退時には1000万下条件で走っていたが、2003年2月1日の1000万下のレースで出走を取り消したのを最後に競走馬登録を抹消されている。セイントネイチャーの紆余曲折はここから始まった。
セイントネイチャーは、動物好きのとある女性に引き取られると、渡辺牧場に預託された。その女性は、当時はるみさんのご主人の名義で走っていたナイスネイチャの弟・ターフエクシードの馬主になりたいと申し出たり、渡辺牧場から地方競馬で走らせるための馬を購入しようとしていた。しかしその後、預託料や馬の購入代金の不払いなど、金銭が絡むトラブルが起こり、セイントネイチャーは渡辺牧場を去っていった。
それから数年を経て、これまた偶然にもセイントネイチャーの所在がはるみさんに知らされた。はるみさんの同志とも言える友人が、インターネット上で交流を持った馬好きの方に『馬の瞳を見つめて』(桜桃書房)を送ると、本の中に登場するナイスネイチャの息子が知り合いの所にいるという情報がもたらされる。それがセイントネイチャーだった。トラブルを起こしたあの女性の所有馬となったターフエクシードらとともに屠場に売られたセイントネイチャーだったが、この馬だけが去勢されていたために、乗馬用として命拾いをしたのだ。一方、ターフエクシードは間違いなく屠場へと送られていったことも判明している。去勢しているか否かが明暗を分けた結果となった。
こうして生きながらえたセイントネイチャーは、持ち主が多忙で乗馬ができなくなったために、岐阜市内の乗馬クラブに移動する。しかし、蟻洞という蹄の病気から蹄葉炎も併発し、その乗馬クラブからも出なければならなくなってしまった。働けなくなった馬は、ほぼ屠場行きだ。
その頃を振り返ったはるみさんのブログにはこう記されている。「当時の私は、かたくなな考えを持っていました。自分は生産馬たちを先立たせているのに他所の馬を引き取ることができる立場ではない。そのような余裕があるのなら、その分、生産馬たちを少しでも長く生かすべき」
しかし、ターフエクシードが亡くなる直前まで一緒にいたのがセイントネイチャーという事実を知ったはるみさんの心境は変化し、ネイチャーを引き取ることに抵抗がなくなっていた。ただし、およそ2年という条件付きでのものだった。その2年の間は心地良く、なるべく馬が幸せでいられるよう配慮する。そして順番が来たら、恐怖と苦痛を感じさせないように、暮らし慣れた場所で麻酔薬を使って安楽死する。そう考えていた。
そのあたりの苦しい胸のうちを、はるみさんはこう説明する。「生産馬に対する思いはやはり違います。母馬の顔とおばあちゃんの顔まで重なって見えるんですよね。セイントネイチャーは、ネイチャという父親の名前の一部はついていますけど、やはり自分の牧場で生産した馬に対しては責任を感じますから」
セイントネイチャーを引き取る頃を回想したブログにも、「1~2頭なら私は、施設があるだけに馬を終生において養うことは可能かもしれません。しかし、私はその1~2頭に、セイントネイチャーを選び、他の生産馬を見捨てるということは、できません。(中略)ターフエクシードを引き取っていたとしても同様だったでしょう。屠場で死なせるよりは自分で最期を見守った方がまだ割り切れる…決して正しい方法とは思っていませんが、私には、それが『見捨てる』ことを避けて出来得る精一杯の方法です」とある。自分の牧場で生産した馬の責任を取る。これがはるみさんが馬に対して、悩みながらも貫いてきた姿勢であった。
けれども、いずれは安楽死を考えていたセイントネイチャーを生かしていくという方向に舵は切られた。
「本当にこの馬を好いてくれているおばあさんや、ナイスネイチャの息子に生きていてほしいと願う熱心なファンの方がいたんですよね。お年を召したあばあさんを泣かせ、ファンの方にそこまで頼まれても安楽死してしまっていいのだろうかと思い至り、その方たちのお気持ちに応えられるよう努力してみようと考えました。いわば周囲の方に押された形ですね」(はるみさん)
はるみさんは、以前、ナイスネイチャの父ナイスダンサーの余生のために「ナイスネイチャのお父さんを助けて募金」という募金箱を作って、募金をお願いする活動をした。今回は、はるみさんの言葉を借りれば「ナイスネイチャの息子を助けて募金」とも言えるが、当時の27歳だったナイスダンサーより10歳以上若いセイントネイチャーの今後を考え、引退馬協会の引退馬ネットのサポートを受け「渡辺牧場里親の会~まずはセイントネイチャーから~」を立ち上げることになった。
セイントネイチャーが、ヒカル(セン7、競走馬名:エスプリオーシャン、個人オーナー所有)と一緒に放牧地にいた。黒っぽい馬体につぶらな瞳が印象的だ。競走馬引退後に渡辺牧場で過ごしていたのに、その後人の都合で移動を繰り返し、一度は屠殺寸前までいったセイントネイチャーがここにいる。そういう思いでその姿を眺めると、初めて会ったのにもかかわらず、感慨深いものがあった。もう移動する必要はない。やっと安住の地を得たのだ。
▲セイントネイチャー、屠殺寸前からやっと安住の地を得た
会にはナイスネイチャのファンや、セイントネイチャーが好きという人以外に、はるみさんを助けようと入ってくれる人もたくさんいた。セイントネイチャーを知らない人、はるみさんが頑張っている姿が励みになると言って、引退馬協会にもセイントネイチャーの会に入会してくれる中学時代からの同級生もいる。「毎日が感謝の連続」だとはるみさんは言う。
「私は子供の頃から動物を助けたいという思いで生きてきました。馬に出会う前には、犬や猫を助けたいと思っていたんですよ。経済的にも自立した生活をして、犬や猫を助けようと考えていたのが、途中から馬になりました。そうしたら金銭的にもアップアップで、逆に助けられる側になってしまいました。元々、牧場にも借金がありましたしね。自分が理想としていた人生と違うわけです。本当は助ける側になって、感謝される側の人間になりたかったんですよ、本当は。自分がお金持ちだったら、多分たくさん寄付をしていたと思います。それが今では毎日のように『ありがとうございます』と皆さんに感謝する立場になりました。本当に心からありがたいことだと思っています」(はるみさん)
そして冗談めかして続けた。「それで気づいたんですよ。なぜ私はこれまで宝くじが当たらなかったのかが(笑)」
はるみさんの著書『馬の瞳を見つめて』にも、馬たちをずっと養えるよう宝くじを買い続けているという記述がある。「宝くじに当たって簡単にお金を手にしていたら、私は確かに『ありがとう』を言われる立場になり、たくさんの馬を助けまくっていたかもしれないですけど、セイントネイチャーの会を起こして直接会員さんとやり取りをして、直接お礼を言う立場になって、ああそうかと気づきました。大金を簡単に手にしていたら、人様にこんなに感謝をする経験をしないまま、自分の人生を終えていたのではないかと…。神様にもなぜ宝くじに当たらないかを問い続けていたのですが、やっと答えが返ってきました(笑)」(はるみさん)
渡辺牧場の生産馬ではない、セイントネイチャーという1頭の馬から、はるみさんはたくさんのギフトを受け取ったのだ。これもまた運命だったのかもしれない。
雨は上がったものの、空はまだ灰色の雲で覆われていた。だがセイントネイチャーの放牧地はひと際明るく感じた。その後に向かったのが、ウラカワミユキ(ナイスネイチャの母)と春風ヒューマ(セン21、競走馬名:トウショウヒューマ)のいる放牧地だ。今年6月に亡くなったコーセイは、ウラカワミユキとは良き相棒であった。コーセイが治療のために放牧地から離れただけで、ミユキは大騒ぎしていた。それほどミユキはコーセイを頼っていたのだった。コーセイ亡き後は、時折亡き相棒を探すような仕草をしていたが、ミユキははるみさんの心配をよそに、思いの他、穏やかに日々を過ごした。
「ミユキは寂しさから、死んでしまうんじゃないかと思っていました。それで春風ヒューマと一緒に放牧したのですけどね」
けれども、ミユキと春風ヒューマは、ベッタリと一緒にいるわけではない。お互い離れた場所で草を食んでいた。こちらの話を、ミユキは少し離れたところでじっと耳を傾けている。何となく、ミユキはコーセイの死を受け入れているのではないかと思ったが、はるみさんも同じように感じているようだった。ミユキとコーセイの心温まるエピソードをはるみさんから聞きながら、ミユキの体が33歳とは思えないほどに張りがあって、毛ヅヤも良いことに気づき、目を見張った。
▲ニンジン欲しさに近寄ってくるウラカワミユキ
▲相棒・コーセイの死を乗り越え、元気に暮らしている
「高齢馬の飼養管理について、指導してくれる獣医さんが来て教えてくださったんですよ。これが近年ではとても衝撃で、改めて勉強になりました。これも高齢のコーセイやミユキのお陰です。2年前のミユキは、もっとガレていました。痩せて心配したんです。冬が明けて春先にとても痩せて見えるんですよね。それがとても心配していたのですが、今年はあれっ? いい感じじゃない? って。やっぱりこれも飼養管理を指導していただいた成果だと思っています。この間、2年振りにいらっしゃった会員さんもびっくりしていましたよ」
ミユキの体に張りとツヤがあった理由が判明した。「高齢馬を扱う機会が多くなりましたし、いかに馬たちの健康を少しでも回復させたり、維持したり、心地良く過ごさせてあげるということに力を注いでいきたいですからね」というはるみさんの言葉を聞いて、ここで余生を約束された馬たちは、本当に気分良く過ごせるのだろうなと思ったのだった。
「例えば、私はすぐにコマーシャルでよくやっている保険を思い浮かべるんですけど、あれは将来何かあった時にサポートしてくれるわけですから、毎月数千円の掛け金を払うことで安心につながりますよね。でも余生を過ごしている、いわば何も生み出さない馬に毎月数千円のお金を出してくださるというのは、とてもすごいことだと思っています。本当にそのような方たちに自分のできる感謝の気持ちを表したいんです。牧場に訪れてくださったらできるだけ楽しんでいただこうと考えますし、本当にそういう感謝の念を大切にしながら、人とつながっていきたいなと思っています」(はるみさん)
はるみさんは、何も生み出さない引退した馬たちにお金を出しくれる人たちを「すごい」と言う。けれども、会員になって会費を払っている人もまた、セイントネイチャーや渡辺牧場とのつながりから、それぞれにギフトを受け取っているのではないかと思うのだ。と同時に、余生を過ごす馬に月々お金を出したり、寄付をする人たちがいるという事実は、行き場のなくなった馬たちのために、自分も何かしたいと考えている人が多いという表れではないかとも感じる。
そのようなファンの思いと反比例するように、JRAが関連する公益財団法人ジャパン・スタッド・ブック・インターナショナル(JARIS)を通じて支払われる引退名馬に対する助成金が、2012年度から1万円減額され、さらに給付を受けられるのが14歳以上という年齢制限も設けられた(2012年度以前に申請された馬は、年齢制限は適用されない)。高齢まで生きる馬が増え、馬券の売り上げも減少したことも理由のようだ。
「例えば馬券を100円から102円にしたらどうかなと。1、2円でも、ものすごく違うと思うんですよね。あるいは不正のないように対策を講じて、競馬場に募金箱を設置するというのはどうでしょうか」とはるみさんが言うように、1頭でも多くの馬を救うためにお金を出したり、寄付をしたいと考えているファンは結構いるはずだ。馬券の販売価格を変えるのは競馬法も絡むだろうから簡単ではないのかもしれないが、それ以外にファンが参加できる形での引退馬の救済をJRAが率先して行えば、イメージアップにも繋がるのではないだろうか。
イギリスのとある馬小屋の壁に掛けられていた『馬の祈り(A HORSE'S PRAYER)』という詩がある。インターネットで世界中に広まってもいるし、子供用にわかりやすく描かれた『うまのおいのり』(至光社)という絵本も出版されている。渡辺牧場のホームページにも、この祈りの言葉があった。
「友人のご主人(toruさん)が訳してくれたものですが、馬についてそのものを言い表していると思いましたので載せました」(はるみさん)
『私の御主人様であるあなたに、私の祈りを捧げます』という言葉から始まる馬の祈り。人間が馬に優しく接して言葉を掛けてくれれば、馬は主人に喜んで仕える、仕事をする時には鞭を打たずに理解をする時間がほしい…など、読み進めていくと、この祈り通りに馬に接している人は少ないように思った。
そして『ああ 私の御主人様 私がお役に立てなくなった時は 放り出して飢え死にや凍死 残酷な飼い主に売り飛ばして食べ物も与えられず ゆっくり痛めつけられての死を与えず ぜひともご主人様であるあなたの元で 最も優しい手段で私の命を終わらせてください』という締めくくりに近い部分の言葉が胸に迫ってきた。
実際に馬がどのように思っているかはわからないが、自分の手を離れた馬に安住の地は約束されているわけでもないし、はるみさんが言っていた『馬にとって慣れ親しんだ環境を変えることは、大きなストレス』という言葉も甦ってきた。馬にとって、何が一番良いのか。生かすことなのか、不確定な未来に放り出すくらいなら安楽死という方法を取った方が良いのか。永遠に答えが出ないような気もするが、これを機会に馬の命について、馬と人との関わりについてじっくり考えてみたい。(了)
(『馬の祈り』の全文をお読みになりたい方は 渡辺牧場のホームページ http://www13.plala.or.jp/intaiba-yotaku/ をご覧ください)(取材・文:佐々木祥恵)
浦河郡浦河町絵笛497-5
年間見学可能
見学時間 9:30~11:00 14:00~16:00
直接訪問可能(団体のみ3日前に連絡)
(詳細はふるさと案内所まで)
競走馬ふるさと案内所日高案内所
電話 0146-41-2121
FAX 0146-43-2500
http://uma-furusato.com/渡辺牧場HP
http://www13.plala.or.jp/intaiba-yotaku/渡辺牧場ブログ
浦河 渡辺牧場の馬たち
http://watanabeuma.cocolog-nifty.com/blog/認定NPO法人引退馬協会
http://rha.or.jp/佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。