2014年10月27日(月) 18:00 59
▲凱旋門賞連覇を果たしたトレヴ(撮影:高橋正和)
1920年に行われた第1回凱旋門賞。時は経ち今年が第93回。この間、欧州調教馬以外が優勝したことは一度もない。今年も日本のトップホースたちが挑戦したが、ハープスターの6着が最高。夢破れた。1969年に挑戦したスピードシンボリ以来、のべ17頭の日本馬が参戦したものの、その壁は越えられてはいない。そこで頭をよぎること、――なぜ日本馬は凱旋門賞を勝てないのか。野元賢一記者が、これまでの挑戦の歴史を振り返りながら見解を示します。
10月5日深夜。激しい雨の中、東京競馬場には公式発表で2323人が訪れていた。パリ・ロンシャンで同日行われた凱旋門賞(GI・芝2400m)のパブリックビューイングである。レース前はさすがに、スタンドの外に出てくる人は少なかったが、ゲートインの午後11時半には傘を差した人が外ラチ沿いに並び、場内の大型スクリーンに向けて大声援を送った。
だが、ゲートが開いてからざっと10秒で、観衆の大半は厳しい結果を予期したことだろう。馬群の最後方の内寄りにジャスタウェイ1頭が取り付く。ハープスターとゴールドシップはそのはるか後方。何のことはない。1か月半前、札幌記念で見た場面と同じだ。
札幌ではその2頭が上位を占めたが、ロンシャンで同じことができると思うなら、考えが甘すぎる。約2分後。奇跡は起こらない。直線で鮮やかに抜け出したのは前年の覇者トレヴ(牝4、仏)。上位を争ったのは軒並み、好位置でソツなく乗られた馬たちばかりだった。
レースが終わった頃、猛然と追い込んだハープスターを見て、「あの脚は世界に通用した」と思った人もゼロではあるまい。だが、以下で紹介する海外のファンの口さがないツイートの方が、やはり現実を見ているというべきだ。いわく「(川田将雅)騎手はダンシングブレーヴの幽霊に乗っていると思っていたのでは」。30年前、伝説の追い込みを決めた名馬である。国内同世代の牝馬のレッドリヴェールやヌーヴォレコルトに取りこぼした馬に、それを期待するのはいかにも酷だ。
日本馬はなぜ勝てないのか? 大きな戦略と、戦術レベルの双方で問題がある。戦略とは、いかなる馬をロンシャンに送り込むか。逆から見れば、国内で超がつくかも知れない一流馬のキャリアを、いかにデザインするかの問題である。こと今回に関する限り、ロンシャンの芝を踏んだ3頭は、適性面で相当なズレがあったと言わざるを得ない。
まず、須貝尚介厩舎の2頭。8着ジャスタウェイ、14着ゴールドシップはともに5歳。牡の古馬で凱旋門賞を制したのは、2007年のディラントーマスが最後。斤量面の不利がいかに大きいかを物語る結果だ。この上、個体の適性が合わなければ、ロンシャン行きは無謀な挑戦と考えざるを得まい。
その点で、ジャスタウェイはそもそも距離が問題だった。あくまでも推測であり見た目の印象だが、レース運びが消極的に感じられた。やはり最後のガス欠を懸念したのではないか。1800-2000mなら、中山記念のように先行策から圧勝したレースもあった。ドバイ・デューティフリーで見せた破壊力が不発に終わったのは、やはりレース選択の問題と思う。フランケルが引退レースで走ったチャンピオンSのようなレースでも、同馬の資質、価値は十分に示せる。そういう舞台を選ばなかった点が惜しまれる。
ゴールドシップの苦戦は、好天を考えればむしろ納得である。10-13年の4回で、日本馬の2着が途切れた11年は・・・
野元賢一
1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。