2014年12月13日(土) 12:00
12月11日、木曜日、静内のアロースタッドを訪ねた。
種牡馬入りしたスマイルジャックに会うためである。
浦河で所用を済ませてから来る小桧山悟調教師と待ち合わせていたのは午後2時だったのだが、30分以上早く着いてしまった。
これが春なら二十間道路の桜並木を眺めているうちに時間が過ぎてしまうのだが、今は黒々とした木肌を見せる巨木の列が寒風に震えているだけだ。
仕方なく、一度アロースタッドの前を通りすぎると、道沿いに「静内名所 船山馨 お登勢の碑」なるものがあることに気がついた。スマホで写真を撮り、「春の訪れとともに」から始まる碑文を2、3度読み返した。それでも数分しか経っていない。
――じゃあ、トイレでも済ませるか。
とエントランス広場に行ったら、あろうことか、トイレまで冬期は閉鎖中だった。
少し早いがなかで待たせてもらおうとアロースタッドの門をくぐると、事務所で株式会社ジェイエスの綿引正ゼネラルマネージャーが「お話はうかがっています」と迎えてくれて、助かった。
びっくりするほど人懐っこいネコにすり寄られながら、綿引さんと「スマイル談義」に花を咲かせた。同じレースで何度も叩き合ったことのあるスーパーホーネットや、同じダービー2着馬のリーチザクラウン(この馬とも一緒に走ったことがある)らがいるこの空間で、「種牡馬スマイルジャック」について話ができることが、ものすごく幸せに感じられた。
「コビさんが来る前に、スマイルを見せてもらっていいですか」
「ああ、どうぞ」
と綿引さんが案内してくれた洗い場に、担当厩務員の藤田誠さんに手入れされているスマイルがいた。
担当の藤田誠厩務員に体を拭いてもらうスマイルジャック
「試験種付けも精液検査も一発で合格しました。そんな馬、なかなかいないですよ」とスマイルを見ながら目を細める綿引さんの言葉が嬉しかった。
藤田さんによると、先月15日に到着したときには輸送熱が出て、馬体もガレてしまい、体調が戻るまで1週間ほど要したという。が、今は環境にもすっかり慣れた様子だ。
「手入れしていて感じるのは、ほかの馬と比べて体がやわらかいことです。ここまで届くのか、というところまで脚が飛んできて驚かされることもあります。そのやわらかさが産駒に伝わってくれるといいですね」と話してくれた藤田さんに、同じタニノギムレットを父に持つウオッカを担当していた中田陽之調教助手も体のやわらかさに言及していたことを伝えると、「そうなんですか」と微笑んだ。その表情を見て、スマイルがここでも大切にされていることがよくわかった。
「いつも、隣のスーパーホーネットがいるほうに体を寄せていますよ」と言う藤田さんには、寂しがり屋であることもバレてしまっているようだ。
コビさんが到着したので、スマイルのお披露目が始まった。
当面の目標は、来年2月の種牡馬展示会に向けて体をさらに立派にすることだという
スマイルの馬体を見て、撮影する小桧山悟調教師。その並びの一番奥がジェイエスの綿引正ゼネラルマネージャー
スマイルの曳き手を持つ藤田さんに、現役時代の癖や気性などについていろいろ説明するコビさんを見て、
――調教師の仕事って、ほんと、多岐にわたるんだなあ。
と思ったが、これはもしかしたら通常の業務の範疇を越えたことなのかもしれない。ただ、間違いないのは、このときのコビさんがすごく楽しそうで、かつ真剣だったということだ。
藤田厩務員にスマイルの個性について話す小桧山調教師(左)
事務所で、コビさんと綿引さん、そして、アロースタッド主任の本間一幸さんをまじえて、スマイルについて、また、昨今の種牡馬事情などについていろいろな話をした。本間さんとコビさんも、コビさんが昔から親しくしている人を通じて「点と線でつながっている」間柄だという。
そうした人の縁と思いによって、スマイルは種牡馬になることができた。正確には、そのスタート地点に立つことができた。
――これからも勝負だ。頑張れよ、スマイル。
帰りぎわ、そう伝えるため馬房に行ったのだが、何度呼びかけても顔を出してくれなかった。
馬房にネームプレートが。種牡馬となった証のひとつ
仕方なく厩舎の外に出て、「じゃあな、スマイル。帰るから」と言うと、珍しく慌てたように窓から顔を突き出した。
馬房の窓から顔を出して見送ってくれたスマイルジャック
私が実家で使っているクルマでコビさんとともにアロースタッドを出た。そして、門別の育成場「ベーシカル・コーチング・スクール」でコビさんが管理する馬を8頭ほど見てから札幌に戻った。
琴似の焼鳥屋で食事を終えて席を立つとき、コビさんが「きょうは来てくれてありがとうございました」とあらたまって言った。
コビさんにそんな物の言い方をされたのは30年近い付き合いで初めてだったので、ちょっとうろたえてしまった。
私の介護帰省とコビさんの牧場回りのタイミングがたまたま合った結果のことなのだが、本当に行ってよかった、と思った。
このまま来週まっすぐ大阪に行き、18日に梅田で行われる『世界一の馬をつくる』(前田幸治・著、飛鳥新社)の出版記念イベントに出る。私は、前田オーナーと武豊騎手の対談の司会をつとめる。その前座のような形で、私がひとりで「ノースヒルズ見聞録」をしゃべる時間もあり……と書いている最中、満席になったと連絡があった。
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拙著のサイン本プレゼントのおり、みなさまから送っていただいたメッセージ、すべて読ませていただきました。ありがとうございました。
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島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所
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