人馬の距離感

2015年01月31日(土) 12:00


 先週のAJCCでゴールドシップが7着に敗れた。GI5勝のうち2勝が中山で、僅差の3着だった前走・有馬記念と同等か、それ以上の状態のよさが伝えられていた。負ける要素は見当たらないように思われ、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持されたが、期待されたような結果を出せなかった。

 敗因はなんだったのか。

 確かに、前半1000メートル通過63秒0というスローペースになり、不向きな瞬発力勝負になったことは痛かった。レース自体の上がりが過去10年でもっとも速い34秒6。ゴールドシップは、勝ったクリールカイザーと同じ34秒4の脚を使ったが、コンマ5秒遅れてゴールした。単純計算では、コンマ5秒速い33秒9の脚を使っていれば並んでフィニッシュできていたわけだが、上がり最速だった4着マイネルフロストと6着フラガラッハでも34秒1だった。他馬が軒並み34秒台の脚を使うなか、ゴールドシップだけが33秒台の脚を使うというイメージはない。

 結果論だが、位置取りの差、動き出しのポイントが勝敗を分けたと言えるだろう。

 しかし、はたしてそれだけだろうか。

 不向きな流れのなか、馬群に沈むことなく、勝ち馬と同じ上がりで走り切った。ゴールを通過するときは、まだ伸びている最中で、ただ差を詰められなかっただけだ。それでコンマ5秒しか負けなかったのだから、まるで走らなかったわけではない……という見方もできなくはないが、それでも、本来なら3コーナーからグーンと伸びて、前の馬をまとめて呑み込むことのできる力の持ち主だし、またそれができる状態だったはずだ。

 力を出し切っての敗戦ではなかったとすると、やはり気持ちの問題だったのか。

 パドックを周回していたゴールドシップの、おそらく左後ろ脚からだと思うのだが、私が「P音」と呼んでいる、「パコッ、パコッ」とお椀を伏せるときのような音がしていた。以前週刊誌の連載エッセイにも書いたのだが、私はP音の統計をとったことがあり、傾向としては、パコパコと音を出してパドックを歩いている馬はレースでいい結果を出していない、という結論に達した。もちろん例外もあり、P音を出しまくりながら勝ち負けする馬もいるのだが、数は少ない。ゴールドシップに関して確認できたのは、2年前、オルフェーヴルの3着だった有馬記念のときだ。あのときもP音が聴こえたのだが、「9馬身半も突き放された」ともとれるし、「復活して3着に来た」ともとれるので微妙なところだ(毎度P音を出しているかどうか確かめられるといいのだが、GIのときは人が多く、パドックの最前列に行くのが難しいので、チェックできないこともある)。

 そうした音が出るかどうかは蹄鉄の打ち方によると装蹄師さんに言われたこともあったが、同じ打ち方でも、馬の脚の置き方や、爪先への力の入れ方によって、音が出たり出なかったりする。ギュッ、ギュッと地面をしっかり踏みしめるようにして歩くとP音が出ず、好走する(自分の力のぶんだけはきっちり走る)傾向がある。

 馬に訊いてみないとわからないのだが、AJCC当日、ゴールドシップは、やや集中力に欠ける精神状態だったのかもしれない。

 そしてもうひとつ。

 AJCC出走馬は、昨年12月に登場したばかりの「グランプリロード(はなみち)」を通って馬場入りした。有馬記念の入場時には使われなかったので、ゴールドシップがここから馬場に入るのは初めてだった。

 ここで、「GIIだからこそのこと」が起きてしまった。出走していた17頭のなかで、馬券の売上げという意味だけでなく、スターとしての人気は、ゴールドシップが突出していた。集まった多くのファンが、パドックを出てグランプリロードを通るゴールドシップを追いかけて走った。パドックでも、グランプリロードでも、コースでもゴールドシップをこの目で見たい、カメラにおさめたいという気持ちはわかる。

 が、馬の近くを走ると、馬が驚いて暴れたりし、事故につながるので危険である。これがトレセンや、調教だけをやって客を入れていない時間帯の競馬場なら、走ると間違いなく怒鳴られる。それは人間のやることを理解し、おとなしい馬が多いと言われているアメリカなどでも同じである。私も、普段馬を撮影していないカメラマンと仕事をするときには、トレセンでアシスタントを走らせないよう、まず言うようにしている。しかし、今回は、開催中の競馬場で、基本的に人間がどう動いてもいいエリアでの出来事である。

 柵沿いの人垣が少しは目隠しになっていたはずだが、それでも走る人々が目に入ったのか、ゴールドシップは明らかに入れ込みはじめた。

 先に「GIIだからこそのこと」と記したのは、たくさんの人にこうして追いかけられたのが(私の見る限り)ゴールドシップだけだったからだ。これがGIなら、同じぐらい人気のある馬がほかにもいるだろうし、それ以前に、客がぎっしり入っているので、この日のようにターッと走るスペースがない。

 アメリカの多くの競馬場や、フランスのロンシャン競馬場なども、出走馬がファンエリアを通って馬場入りする構造になっている。

 そういう舞台でも結果を出すことを求められているのだから、人間がたくさんいるところを通ることには慣れなくてはいけないのだろうが、「近くを人が走っていても動揺するな」と言うのは酷である。というか、馬という動物の性質上、無理である。

 だが、スターホースを間近で見たいと思うのは当たり前だし、日本の競馬はファンの馬券の売上げで支えられているのだから、そのあたりの人馬の距離感は、危ないからと一律に遠ざけるのではなく、近くにいながらも安全で、それでいて(外面上は静かに)エキサイトできるようにする、といった環境づくりが求められる。

 とまれ、ゴールドシップには、また「らしい」走りを見せてもらいたい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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