えんぶりと前田長吉

2015年02月21日(土) 12:00


 2月17日から2泊3日で八戸に行き、800年以上の歴史を持つ豊作祈願の民俗芸能「えんぶり」を見てきた。

 えんぶりは、国の重要無形民俗文化財にも指定されており、馬の頭をかたどった烏帽子をかぶった太夫たちが、上体を大きく動かす「摺り」と呼ばれる勇壮な踊りを見せるほか、「大黒舞」や「恵比寿舞」などの演目も披露される。

熱視点

八戸地方に伝わる郷土芸能「えんぶり」。これは八戸市中心部で披露された「一斉摺り」の様子

 もともとは小正月の行事だったが、今は毎年2月17日から4日間行われている。ここ南部地方は、やませが吹くため土地が痩せて米がとれず、その代わりに牧畜が盛んな「馬の里」となった。住まう人々は厳しい自然環境に耐え得る強さを身につけ、抑圧された日々のなか、特に男たちは寡黙になる。身を切るほどの寒さのなか、見た目以上にハードな演目を淡々と演じるえんぶりは、そんな南部人気質をよく表した行事であると言えよう。

 三戸郡是川村(現在の八戸市是川)で生まれた最年少ダービージョッキーの前田長吉は、馬の上でえんぶりの横笛を吹き、風呂に入っているときもよく笛の練習をしていたという。

熱視点

前田長吉も、このように太夫の摺りに合わせて笛を吹いていたのだろうか

 私は、前田長吉や寺山修司など、この地にゆかりのある人々の原稿を何度も書きながら、一度もえんぶりを見たことがないのはいかがなものかと、ずっと引け目に感じていた。それだけに、三沢空港からレンタカーで八戸市内に入り、一斉摺りの囃子や、太夫たちが「ジャンギ」と呼ばれる杖を大地に打ちつける音を聴いたときは感動した。普段は市の大動脈となっている大通りを歩行者天国とし、30組ほどの「えんぶり組」と観客が埋めつくすさまは壮観だった。太夫たちの摺りはダイナミックで、「子どもえんぶり」は愛らしく、鯛釣りを演じる恵比寿舞の動きはユーモラスだ。時間を忘れて見とれてしまった。

 翌朝、天気予報を見ようとテレビをつけたら、NHKの番組に、グリーンチャンネルのキャスターをしている小堺翔太さんが出ていた。彼がレギュラーで出演しているコーナーなのだが、なんと、八戸の八食センターという、海産物などを売っているモールから生中継をしていた。私も前日そこを訪ねていたので、彼とはニアミスしていたらしい。

 午後、前田長吉の兄の孫である前田貞直さん夫妻と一緒に、八戸市公会堂で行われたえんぶり公演を見た。貞直さんも、こうしてじっくりえんぶりを見るのは久しぶりだという。「長吉にも見せたくて」と、長吉の写真を胸に忍ばせていた。

 夜は、地元紙「デーリー東北」文化部の人たちも加わって食事をした。デーリー東北では、戦後70年の節目に、旧満州で終戦を迎え、シベリアに抑留されて亡くなった長吉をからめた特集を考えているようだ。

 滞在最終日、貞直さんのお宅で、また新たに出てきたという長吉の資料を見せてもらった。それは4冊の番組表だった。同じものが2冊ずつあり、ひとつが昭和18(1943)年秋季阪神競馬番組、もうひとつが同年秋季京都競馬番組を記した冊子だった。

 それらの側面となかに、長吉が書いたと思われる文字が記されている。

熱視点

今回、前田貞直氏が見せてくれた前田長吉の新資料。側面に書かれた「前田」「尾形厩舎」も、なかに書かれた文字も長吉によるものと思われる

 昭和18年は、騎手デビュー2年目、クリフジでダービー、オークス、菊花賞の変則三冠を無敗で制した年だ。彼が生家に出した手紙の「ク」や「タ」といった文字の癖からして、ここに記されたものはほぼ確実に長吉によるものである。

 番組表の表紙をめくると、彼とともに京都競馬場(この年は秋季阪神競馬も京都で行われた)に入厩したクリフジとヨシサカエの調教スケジュールが記されている。

熱視点

クリフジが10月31日の古呼馬を10馬身差で圧勝した前後の調教スケジュールと思われるメモ

 クリフジは、6月6日のダービーを勝ち、秋は長吉とともに京都に入り、古呼馬、オークス、古呼馬、古呼馬、菊花賞と5戦した。

 上の写真は、滞在4戦目の古呼馬前後の調教スケジュールを、おそらく調教後に備忘録的に記したものと思われる。「カルク」「十五十五」「普通」などの記述が見える。「十五十五」は、今でも使われる、1ハロンを15秒のペースで進む「15−15」で、「普通」はいわゆる「普通キャンター」だろう。面白いのは、古呼馬のレースを振り返って記したとおぼしきものだ。「勝負末カル馬ナリ」と読める。「レースだった。ラストを軽く、馬なりで勝った」といった意味だろう。

熱視点

11月14日の菊花賞(京都農商省賞典四歳呼馬)に向けた調教のメモ

 上部に記された数字は日付けである。

 長吉は、この番組表のほか、鞭のグリップや、鉛チョッキの鉛プレートすべてに名を刻むなど、とても器用で几帳面だった。が、その一方で、菊花賞のことを「優駿レース」と記すなど、案外大雑把なところもあったようだ。それは出征前、餞別をくれた人の名を記した紙に部隊名を誤って記したところなどにもかいま見ることができる。

 このメモからわかるのは、菊花賞に向けた追い切りの内容である。「本馬場長メノ十五十五末直セン馬ナリ」「二分七秒」「元キデアラバ五十米」とあるのを総合すると、「芝コースを15-15で長めに乗り、直線、ラスト50メートル、手綱をおっぱなして流す。1周2分7秒のタイムになった」といったところか。

 厳格なことで知られた尾形藤吉調教師にきちんと報告するためにも、こうして文字にして残したのだろう。

 72年前の菊花賞優勝馬の調教内容がこんなふうにして明らかになるのだから、面白い。

 前にも記したが、春には東京競馬場で前田長吉が使用した馬具などが展示される。「長吉にとっては、第二の故郷への里帰りです」と、半分寂しげに、半分嬉しそうに笑った貞直さんと東京での再会を約束して、八戸を離れた。

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

関連情報

新着コラム

コラムを探す