2015年02月28日(土) 21:00 483
1996年、若駒寮の花見での写真
ごっちゃん、わたしはいま、あなたの大好きなロイヤルホストでこれを書いています。27日の午前、Facebookでパニックになっているある方の投稿を読み、あなたに何かがあったことを知りました。すぐにニュースサイトを開いたら、意味のわからないことが書いてあって。なにがなんだか、よくわからなくて。いまも腑に落ちないまま、キーボードを叩いています。
最初に会ったのは、美浦の南のスタンドでした。ジョッキーになったばかりのあなたは黄色いヘルメットを被り、ヒザの部分を繕った黒い乗馬ズボンを履いていました。
「競馬学校で使っていたものなんだ」
そういいながら、パッチワークをするわけでもない、露骨にただ縫っただけの、しかも何度も縫いなおしたろうと思われるほど何重にも布を重ねたズボンを履いて堂々としていました。おそらく何度も落馬したりつまずいたりして綻んだのでしょう。それを捨てずに、なおして履き続ける姿に好感を持ちました。
ごっちゃんはわたしが世話好きだということをトレセンの中で誰より早く見抜いた人でした。
「貴ちゃんはそういうお母さんみたいなもの、持っているから」
と言い、誰か新しい人と会うときは必ず「美浦でのお母さんがわり」と言って紹介していて。
好奇心旺盛で社交性があるから、いろんな人とすぐに仲良くなっていましたね。みんなで一緒に「LOVE LOVE愛してる」とか、いろんなテレビの収録を見に行って。そのたびに喜んでくれたし、楽しかった。
ゴールドティアラで交流GIを勝ったとき、GIがつくレースは初めての優勝で抱き合って喜んだね。その一方で、喧嘩もしたし、疎遠になった時期もあった。でも、やっぱり深い話を出来る人はなかなかいなくて。たくさんいろんなこと話しました。
アメリカに武者修行に行くときも、自分で決めてそれを報告してくれました。向こうに行ってたとき、わたしは日本時間の深夜に誰かと話をしたかったとき、アメリカで調教が終った時間だからちょうどいいし、と付き合ってくれたのがごっちゃんでした。
「自分の気持ちをちゃんと相手に話した?」
あのとき、わたしが大事なことほど言えない性格なのを指摘してくれたのに。そして、そうやって正直に話すことでわたしは楽になれたのに。
ごっちゃんは最後の気持ちをひとりで抱えてしまって。器用そうに見えて、すごく不器用で繊細で、真面目で頑張り屋さんでした。
NHKマイルで落馬負傷し、その後9月に再び首を傷めて。結局、頚椎にボルトを入れることになったとき、その手術について詳しく説明してくれました。
「騎手を続けていくために、この手術が必要なんだ」
ミリ単位でなにかが狂ったら、致命傷になりかねないリスクの高い手術。それでも、執刀してくださる先生と自分の未来を信じて果敢に挑んで。すごい勇気だな、って思いました。
さらにそのあと、長いリハビリを経て再び病室で会ったとき、思わず言いました。
「あなたはテレビでも上手に喋れるし、実績あるジョッキーの視点は貴重だし、面白い。メディアだってあなたを求めてる。たくさんの馬主さんにも可愛がられているから調教師として馬を育てていく道もある。自分がいちばんわかっていると思うけど、騎手以外の選択肢を考えてもいいんじゃない?」
それに対してごっちゃんは、悟ったような飾り気のない素の顔、ほんのり笑顔で話しました。
「わかってる。1回目(NHKマイルでの落馬)で復帰したときはちょっと浮き足立ったところがあった。でも、さすがに2回目(2012年9月の落馬)は堪えたよ。もちろん、貴ちゃんの言うとおり、違う道も考えてる」
そして、回復の時期について聞いたとき、医者からのお墨付きなど今後得られないことを示唆していました。
「医者からは、復帰について『GOは出せない』と言われてる。この体で騎手の仕事をしていいとは言えないって。だから、自分でGOを出すしかない。自分で決めるしかない」
その後、たくさんのリハビリを乗り越えての鮮やかな騎手復帰。お見事でした。
エスポワールシチーのプライドを大事にして上手にゴールへ導いていましたね。「すごくわかりあえていた」というローエングリン、「はじめて中央GIを勝たせてくれた」アドマイヤコジーンなど。思い出は尽きません。
シゲルスダチが亡くなり、わたしが美浦にとんでいったとき。ごっちゃんもあいだに入ってくれて伊藤正徳厩舎でお別れすることができました。そのとき「一緒に写真を撮ろう」というから、ふたりで一緒にカメラに収まりました。それが最後の写真になるとは、悲しすぎます。
後藤騎手と筆者
神戸でのお弔いでは「僕に何かできることはない?」と、大きな花をおくってくれました。本当に立派なお花で。盛大にスダチをおくることができました。
今回のことはあまりに突然すぎます。残されたご家族の御悲嘆は察するに余りあるものがあります。くれぐれもご自愛ください。そして、故人のご冥福をお祈り申し上げます。
ごっちゃん、ありがとう。ゆっくり休んでください。
神戸の馬頭観音妙光院にて、後藤騎手からシゲルスダチへと供えられた花
花岡貴子
デジタルレシピ研究家。パソコン教師→競馬評論家に転身→IT業界にも復帰。競馬予想は卒業したが、現在も栗東トレセンでニュースやコラム中心の取材を続けている。“ねぇさん”と呼ばれる世話焼きが高じ、AFPを取得しお金の相談も受ける毎日。公式ブログ「ねぇブロ」(http://ameblo.jp/takako-hanaoka/)