「あるがまま」の力

2015年04月30日(木) 12:00


「善く戦う者は人を致して人に致されず」

 どうしても弱いこころが頭をもたげるから、人の目を気にしてしまう。自分の「あるがまま」を受け入れればいいのに、なかなかそうできない。正直に言えば、誰しもがそういう面を持っているのではないか。世の中は沼地のような所だと、ある本に書いてあった。歩いていくうちにズブズブと潜っていき、だんだん息ができなくなる。だから、世の中ばかり気にするものは、人の思惑ばかりに動かされて自分を見失っていくというのだ。

 このところ、重賞競走でのスローペースが多いような気がする。桜花賞はその最たるものだったが、マイラーズCやフローラSでは駄目押しされた思いになった。レースの主導権を取った勝者から見ればしてやったりなのだが、遅れを取った側はやるせない。「善く戦う者は人を致して人に致されず」と孫子は説いている。「人を致す」とは主導権を握ることだから、有利に戦いを進めるカギは主導権を握るかどうかだ。スローペースで逃げ切るのは、もっとも分かりやすい勝ち方なのだが、マイラーズCのレッドアリオンやフローラSのシングウィズジョイは、どちらもスローペースの流れの中にいた。いずれも自分のリズムをつくっていた。それぞれは、「あるがまま」の姿であったと言っていい。では、他の有力馬はどうだったか。それぞれがスローペースの中、本来の動きがとれなかった。それこそ思惑に押しつぶされていたのだ。レースでも、特にこの先を見据えるトライアル戦は、多くが用心深く、次を考えて戦うためにペースがゆっくりになることが多い。そうとは分かっていても、本来の「あるがまま」の力を発揮できないのはどういうことなのか。やはり、脚質に泣き所があったと言わざるを得ない。「あるがまま」の実力が、そうした戦況では主導権を取るところまで行っていなかったのだ。

 その点、フローラS2着のディアマイダーリンはペースに合わせた戦い方に切り換えていたし、3着マキシマムドパリは一応脚は伸ばしてきていた。要するに、オークスに出るための戦い方はできていたのだ。あとは本番に向けて自分の「あるがまま」をどう強していくかだ。春の天皇賞でこの「あるがまま」の最たる勝者は、ディープインパクトを他においてない。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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