【宝塚記念企画】種牡馬を引退したマヤノトップガンを訪ねて/動画

2015年06月23日(火) 18:01 160

第二のストーリー

▲ファンのリクエストにお答えして、マヤノトップガンの今を紹介

被災者の胸に響いた宝塚記念

 熱烈なファンのリクエストもあって、6月半ば、昨シーズン一杯で種牡馬を引退したマヤノトップガンを訪ねて北海道へと飛んだ。「昨日まで寒いくらいだったのに」という地元の人の言葉が恨めしく聞こえるほど、その日は暑かった。

 国道235号線から山間部に向かって8キロ続く「サラブレッド銀座」と呼ばれる通り沿いに、マヤノトップガンが展示されている優駿メモリアルパークがある。

 出迎えてくれたのは、銀色に輝くオグリキャップ像。道路を背に目を右に転ずると、優駿スタリオンステーションで亡くなった種牡馬たちや、かつてこの地にあったCBスタッドで亡くなったペイザバトラーやリヴリア、そして8歳(旧馬齢表記)の若さで急逝した三冠馬ナリタブライアン、その母パシフィカス、浦河町の日高スタリオンステーションで亡くなったヤエノムテキ、今は閉鎖された新冠町農協畜産センターで亡くなったシービークロスらのお墓があり、墓参りもできるようになっている。アーチをくぐるとポニーが1頭つながれていて、愛くるしい瞳をこちらに向けてくれた。

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▲三冠馬ナリタブライアンのお墓(上)と、その母パシフィカスのお墓(下)

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優駿スタリオンステーションのマネージャー、山崎努さんに放牧地に案内してもらう。明るい栗毛に顔の大きな作…ひと目でマヤノトップガンだとわかる。

 こちらが放牧地に近づいても、脇目も振らずに一心に草を食んでいる。動画を撮影させてほしい旨を山崎さんに伝えると「動かないからなあ…」とポツリ。ある時は鮮やかに逃げ切り、ある時は力強く追い込んで勝つという、変幻自在のレース振りでファンを沸かせていた競走馬時代の躍動感が嘘のように、放牧地のトップガンは静かだ。

 柵の外から写真を撮影していても全く気にする様子はないし、山崎さんと会話をしていても声のする方に耳を向けるでもない。トップガンは、ただただ自分の世界を楽しんでいるようだった。

 1992年3月24日に北海道新冠町の川上悦夫氏の牧場で、マヤノトップガンは生まれた。父はブライアンズタイム、母アルプミープリーズ、母の父がBlushing Groomという血統だ。栗東の坂口正大厩舎から、1995年1月8日にデビュー。1番人気に推されながらも5着と初陣を飾ることができず、未勝利を脱出したのは、デビューから4戦目。4歳(旧馬齢表記)の3月25日だった。

 その後、条件戦を勝ち上がり、秋には神戸新聞杯(GII)、京都新聞杯(GII)と菊花賞のステップレースで立て続けに2着に入って、クラシック最後の一冠奪取を目指ざすべく菊へと駒を進めた。

 菊花賞の1番人気はオークス優勝後にフランス遠征を経験した牝馬のダンスパートナー、前哨戦の京都新聞杯を制したナリタキングオーが2番人気、マヤノトップガンはそれらに続く人気となっていたが、レースでは終始余裕の手応えで好位を進み、4コーナーでは早くも先頭に立つ積極的な走りを見せる。直線でもその勢いは衰えることなく、2着以下を力でねじ伏せ、重賞初制覇をGI勝利で飾った。

 続く有馬記念ではスタートしてすぐにハナを奪うと、そのまま後続を寄せ付けないまま先頭でゴールイン。鞍上の田原成貴元騎手のイメージとも相まって、華やかに逃げ切ったという印象が残っている。

 5歳(旧馬齢表記)となったマヤノトップガンは、阪神大賞典から始動し、1歳年上の三冠馬ナリタブライアンと激突。5歳(旧馬齢表記)秋は不振が続いていたブライアンだが、ブライアンズタイム産駒同士の対決で、三冠馬も目覚めたのだろうか。最後の直線では2頭が鼻面を併せたままゴールまで壮絶な追い比べとなった。その死闘を制したのは先輩のナリタブライアンだったが、この一戦は今も語り継がれる名勝負として数えられることとなる。しかし本番の天皇賞(春)で折り合いを欠いたマヤノトップガンは、サクラローレルやナリタブライアンらに後塵を拝して5着に敗れた。

 天皇賞(春)後にトップガン陣営が選択したのは、前年(1995年1月17日)に起こった阪神・淡路大震災の「震災復興支援競走」となった宝塚記念だった。有力馬が回避する中、1番人気に推されたトップガンは、全くの危なげないレース振りで見事に人気に応えた。神戸市にある摩耶山が由来となったマヤノの冠名を持つ同馬が優勝したことは、被災した同馬のオーナーはじめ、多くの被災者の胸に響いたことであろう。

 5歳秋は勝ち星を挙げられずにスランプ気味だったが、6歳(旧馬齢表記)春には阪神大賞典、天皇賞(春)と2連勝して健在振りを示した。だがその年の秋の調教中、左前脚に浅屈腱炎を発症して引退が決まった。

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▲1996年の宝塚記念優勝時、見事1番人気に応えての勝利だった(撮影:高橋正和)

「本当にいろいろと悩ませてくれました」

 競走馬登録を抹消されたマヤノトップガンは、生まれ故郷の新冠町にある優駿スタリオンステーションで種牡馬入りした。同ステーションがまだ、サラブレッド銀座の入り口にあった頃のことで、山崎さんとトップガンはその時以来の長い付き合いになる。

「当時はブライアンズタイムかサンデー(サイレンス)かと言われていましたから、生産者もスタリオンもかなり期待をしましたし、実際にすごい人気でした」

 1999年生まれの初年度産駒から、プリサイスマシーンという重賞勝ち馬が現れた。「この馬は初めは南関東で走っていて、ズバ抜けた強さだったんですよ。中央に移籍してからは芝でもダートでも走って、とにかくすごい馬でしたね」

 芝、ダート問わずに息の長い活躍をした同馬は、中日新聞杯(GIII・2003年、2004年)、スワンS(GII・2006年)、阪急杯(GIII・2007年)という4つの重賞勝ちを収め、現在は中山競馬場の誘導馬となってファンの前に姿を見せている。

 その他初年度産駒からは日経新春杯(GII・2003年)に優勝したバンブーユベントスを輩出している。翌年以降も、目黒記念(GII・2004年)など重賞2勝のチャクラをはじめ、ホッコーパドゥシャ、トップガンジョー、キングトップガン、ダート路線で強さを見せたメイショウトウコンが重賞を制覇し、デンコウオクトパス、マサノブルースの2頭が、障害の重賞を勝っている。最近ではムスカテール(牡7・栗東・友道康夫)が2013年の目黒記念(GII)を制し、現在も現役を続けている。

「GI勝ち馬こそ出ませんでしたけど、期待通りに走ってくれました。それにこれはと夢を見させてくれる馬を出してくれるんです。初期の頃のマヤノグレイシーやアドマイヤロッキー、そして2004年生まれのオーシャンエイプスは、ビッグタイトルを取れるのではないかと相当期待しました。あと一歩のところまで行くのですけど、残念ながら故障などで大成できませんでしたね」と、山崎さんはトップガンの種牡馬時代を振り返った。

「とにかくワガママ坊ちゃんです(笑)」

 マヤノトップガンの性格について質問すると、開口一番、山崎さんはこう言った。そして続けた。

「すべてがわがままで、何をしても嫌がるし、何をしても言うことをききません。特に嫌いなのは注射ですね。イヤで暴れるんですよ。様々な工夫をして、何年かすると慣れてきましたけど…。獣医さんが来たら逃げていくくらい、頭が良いんでしょうね。本当にいろいろと悩ませてくれました(笑)」

 山崎さんの顔に浮かんだ苦笑いが、その苦労を物語っていた。

「放牧地でも捕まえさせないというのはザラでした。厩舎に戻りたくないから逃げていく…(笑)。人が嫌いというより、基本的に嫌なことをされるのが駄目なんです。我が強いというか、我が道を行くというか。手入れでも、押さえつけて無理にすると怒り出しますしね。怒ったらシュンとする馬もいるのですけど、この馬は余計に反発してくるんですよ(笑)。

まあ嫌なことをしなければ、何のことはない、可愛いものですけど(笑)。このような性格ですから、競馬でも逃げてみたり、追い込んでみたり、また鞍上と喧嘩をしたら走らないというような、いろいろなパターンの競馬になったのではないかなと思うんですよね」

 山崎さんの語るエピソードから、現役時代コンビを組んでいた田原元騎手が、長手綱でトップガンに乗っていた意味が理解できたような気がした。束縛したり、無理強いすると嫌がるというトップガンの性格を田原元騎手は熟知していて、気分良く走らせることに専念していたのではないだろうか。

 さらに種牡馬にとって最も肝心な、種付けの行為も嫌いだったという。

「種付け所に入って、牝馬がいるのに種付けするのを嫌がるんです。疲れているというわけではなくて、気分なんでしょうね。性欲はあるのでしょうけど…。やはり頭が良いのだと思います。相手がうるさい馬だなと思ったら、嫌がりますから。牝馬を見て、自分の判断で決めるんです。これは危ないな、蹴られるかもしれないと(笑)。

嫌となったら種付けしようとしないので、帰っていただいたこともあります。お客様には、迷惑をかけてしまいましたよね。種付けの最中も、自分の身に危険が及ぶのではないかと思うんのでしょうかね。トップガンの心臓がバクバクしていました。多い時で150頭からの申し込みがありましたし、種付けシーズン中は本当に悩みの種でした(苦笑)」

今年で23歳、悠々自適の毎日

 嫌いな種付けという仕事から解放されたトップガンは、現在悠々自適の毎日を過ごしている。

「まだサラブレッド銀座の入り口にスタリオンがあった頃、トップガンを見学できるようにしていたんですけど、その時は全く人に寄りつかなかったんです。見学台のそばには絶対に来なくて、遠くの方にいました。ところが最近は、見学に来た人に寄っていくようになって、ビックリしているんですよね。

実は一昨年もこの放牧地に放してみたことがあったのですけど、種付け所がすぐ見える場所にあって、牝馬も来ますし、興奮して走り回ってしまったので断念したんですよ。それが今は全く気にしないんです。年を取ったということなのでしょうかね。なので昨年から見学できるようにしています」

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▲嫌いな種付けという仕事から解放され、悠々自適の毎日

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 賢いトップガンは、昨シーズンが終わった時点で、もう種付けをしなくてよいのだと理解したのかもしれないなと、相変わらず草を食み続ける栗毛の馬体を眺めながら想像を巡らせた。

 もう少し顔を上げてくれると違った写真が撮れるんだけどと思いながらカメラを向けたその時、トップガンが突然こちらに向かって歩いてきた。ズンズン近づいて来るので、あっという間にフレームに収まらなくなる。そして私の腕に顔を少しこすりつけて、軽く噛んだ。噛まれても痛みが全くなく、柔らかな感触だけが腕に残った。

「もう歯がなくなりかけてるんですよね」

 今年で23歳。まだ体には張りがあって若いし、おいしそうな音を立てて草もしっかり食べている。けれども年齢は確実に重ねているのだなと、山崎さんの一言から実感した。

 今週末、阪神競馬場では宝塚記念(GI)が行われる。トップガンが、1番人気に応えて宝塚記念に快勝してから19年の月日が流れた。(つづく)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


※マヤノトップガン号は見学可です。(直接訪問可能。詳細は最寄の競走馬のふるさと案内所まで)

優駿メモリアルパーク
北海道新冠郡新冠町字朝日267-3
優駿記念館の本年の営業期間中(10月中旬頃まで)の午前10時~午後3時くらいまで見学可能
(天候及びその他事情により変更になる場合があります)

株式会社優駿のホームページ(マヤノトップガンの見学について、及び優駿記念館等の詳細はこちらへ)

http://www.yushun-company.com/

競走馬のふるさと案内所 マヤノトップガンの頁

http://uma-furusato.com/i_search/detail_horse/_id_0000255813

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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