週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2004年04月27日(火) 14:02

 戦前の予想通り、4月25日の香港シャティン競馬場におけるメインレースは、アンダーカードのチェアマンズスプリントトロフィーであった。

 同じ日に同じ場所で行われた今季のワールドシリーズ開幕戦クイーンエリザベス2世Cが国際G1であるのに対し、チェアマンズスプリントはインターナショナルスタンダードでは準重賞扱いの香港G1という格付け。レース順もチェアマンズスプリントの方が1つ前だったのだが、観客の反応も、戦前戦後における地元プレスの扱いも、QE2よりはチェアマンズスプリントの方が圧倒的に上だった。なぜならばここに、香港の英雄サイレントウィットネスが、今季のスプリントシリーズ完全制覇と、香港競馬歴代最多となる11連勝をかけて出走。見事なレース振りでこれを達成して見せたのである。

 オーストラリア産馬のサイレントウィットネスは、母国では走ることなく3歳時に香港でデビュー。重賞初制覇となった最終戦のシャティンヴァーズ(香港G2、1000m)を含めて5戦5勝で3歳シーズンを終えると、4歳を迎えた今季も連勝街道を驀進。シャティンスプリントトロフィー(香港G3、1000m)、インターナショナルスプリントトロフィー(香港G2、1000m)と連勝した後、12月の香港スプリント(G1、1000m)で南アフリカの最速馬ナショナルカレンシーを斥けて初の国際G1制覇を達成。一躍その名が世界に轟いた。

 年が明けて香港スプリントシリーズ初戦のボーヒニアスプリントトロフィー(香港G1、1000m)、第2戦のセンチュリースプリントC(香港G1、1000m)をいずれも楽勝。前走を終えた時点で、1983年にコタックが作った香港記録の10連勝に肩を並べていた。

 この日のサイレントウィットネスに囁かれていたわずかな懸念が、1200mという距離だった。3歳時に経験はあったものの、重賞に出るようになってからは1000m戦しか使われていなかったため、1ハロンの距離延長が唯一の不安と言われていたのである。

 もっとも地元のファンは勝利を信じて疑わなかったようで、サイレントウィットネスの単勝は1.1倍。勝負服にあしらわれたクロスと同色の、緑の地に『加油!!(頑張れ!!の意)』の文字が染め抜かれた旗を持ったファンで溢れたスタンドからは、地元の英雄が本馬場に登場しただけで割れんばかりの大歓声が巻き起こった。レース振りも、むしろ1200mの方が向いているのではないかと思えるほど余裕しゃくしゃく。香港スプリントでは1.1/2馬身差の3着だったケイプオヴグッドホープに2馬身の差を付けて、香港競馬における歴史を作った。

 レース後のプレスカンファンスで、公式ハンディキャッパーから『現役では世界最強のスプリンター』とのお墨付きをもらったサイレントウィットネス。次なる目標は当然のことながら海外遠征となるが、関係者は噂に上っていた英国のロイヤルアスコット参戦を否定。10月に中山で行われるスプリンターズSについて、「現在のところ未定だが、興味を持っている」とコメントした。

 具体的なプランについて陣営は、来季のシーズン開幕から間もない時期に行われるスプリンターズSに、休み明けのぶっつけでは臨みたくないと言明。適当なプレップレースが見つかるようならぜひ参戦したいと、遠征を決めるにあたってクリアされるべき前提条件があることを示唆した。

 残念ながら日本には、海外からスプリンターズSに参戦する馬が走れる適当な前哨戦は存在しない。一方、来季の香港における詳しい番組はまだ発表されていないが、例年のスケジュールだと、サイレントウィットネス級のトップスプリンターが走れる短距離戦は、シーズン当初には組まれていないのだ。

 私見だが、8月終盤の新潟か9月の中山の然るべき時期に、外国調教馬が走れる短距離戦を新たに作ってでも、招致を勧めるだけの価値がある馬がサイレントウィットネスだと思っている。或いは、JRAから香港ジョッキークラブに対して、来季の開幕当初にこの馬が走るに相応しいレースを組んでもらうよう、働きかけることも出来るだろう。いずれにしても、何としても実現して欲しいのが、サイレントウィットネスの来日だ。

 中山のスタンドの一角が、『加油!!』と染め抜かれた緑の旗で埋まる光景を、ぜひ見てみたいものである。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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