週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2004年05月04日(火) 14:33

 4月28日(水曜日)のアスコット競馬場で、こういう事態だけは絶対に起きて欲しくないと万人が願っていた、およそ人間が想像しうる最悪のシナリオが現実のものとなってしまった。

 英国の国民的英雄、11歳セン馬のパーシアンパンチが、今季初めてファンの前に姿を現したG3サガロSのレース中に、動脈破裂を起こして急死してしまったのである。

 1歳10月のニューマーケットのセールで、1万4千ギニー、およそ300万円という廉価でデヴィッド・エルスワース調教師に見いだされたパーシアンパンチ。調教で全く動かず、一時は平地でのデビューを諦め障害に活路を見いだそうという局面すらあった落ちこぼれが、4歳5月に重賞初制覇。その後6年半の歳月をかけてコツコツと積み上げてきた重賞勝ちの数が、昨年10月、ニューマーケットのG2ジョッキークラブSを制した時点で、20世紀最強馬と言われるブリガディアジェラード、ドイツ競馬史に燦然と輝く不朽の名馬アカテナンゴと並ぶ“13”に到達し、パターン競走創設以来の最多タイ記録を樹立した。

 4世代も若いセントレジャー勝馬ミレナリーを斥けたジョッキークラブSをはじめ、年若い気鋭の若駒を相手に繰り広げた幾つかの名勝負を通じて、パーシアンパンチはいつしか、競馬ファンのみならずイギリスの国民が誰もがその名を知っている、国民的アイドルホースとなった。

 「息子のような年齢の馬たちと一緒に走って、頑張っているらしい」。パーシアンパンチが出走する日の競馬場は、レースを生で見るのはこれが初めてというファンで埋めつくされるようになった。

 昨年、レーシングポストが主催した『ファンが選ぶ英国競馬史人気馬ベスト100』でも、堂々第7位にランクインしたパーシアンパンチ。悲願のG1初制覇と、重賞勝ち鞍の新記録樹立を目標に今季も現役にとどまった彼が、久々にファンの前に姿を現したのが、28日のサガロSだったのだ。

 いつものように軽快に逃げていたパーシアンパンチだったが、直線に入ると急激に失速。コース上に崩れ落ちるように倒れ込むと、言葉を失った多くのファンが見守る中で息を引き取るという、壮絶な最期となった。

 英国のスポーツファンは今、深い悲しみに包まれているが、1つだけ誤解してはいけないのは、今回の悲劇が、パーシアンパンチが老齢馬だから起きたのではない事だ。ジョッキークラブ所属の獣医師によると、競走中の動脈破裂は5千頭に1頭の確率で起こりうるものらしい。血管が劣化すればそれだけ破裂も起こりやすいわけだが、年齢を重ねることで血管の劣化が起きるのは、もっとずっと高齢になってからのことで、そうでなければ、パーシアンパンチよりも年上の馬が多数出走し、4マイル以上走るグランドナショナルなど、施行出来なくなってしまうのだ。

 いずれにしても、英国の競馬ファンが現在味わっている喪失感は、我々がテンポイントやサイレンススズカを失った時と同様か、それ以上のものがあるかもしれない。今はただ深く頭を垂れ、冥福を祈るのみである。

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

新着コラム

コラムを探す