2004年05月25日(火) 16:22
先週末のアイリッシュ・ギニーズをもって、プレップレースの全てを終了。エプソム・クラシックへ向けた勢力分布が全貌を現した。
6月4日(金曜日)に行われる英オークス。目下の本命は、ブックメーカー各社が3〜4倍のオッズを掲げる、英1000ギニー2着馬サンドロップ(父サンデーサイレンス)。01年JRHAセレクトセールで購買された日本産馬が、遂に本命として競馬発祥の地のクラシックに挑むことになった。
各社5倍から7倍の2番人気が、11日にヨークで行われた代表的プレップレース、G3ミュージドラSを6馬身差で制したパンクティリアス(父デインヒル)。サンドロップと同じゴドルフィン所属馬で、主戦のフランキー・デットーリは1、2番人気のどちらかを選択しなくてはならないが、名手がもしこちらを選ぶようだと、サンドロップにとっては最大の脅威になる。
各社6倍から7倍の3番人気が、2日にニューマーケットで行われた準重賞プリティーポリーSを6馬身差で制したウイジャボード(父ケイプクロス)。父はマイラーだったが、いとこに愛セントレジャー勝ち馬イブンベイがいるという牝系はスタミナ豊富である。
4〜5番人気につけているのが、エイダン・オブライエン厩舎の良血馬たちだ。
各社6倍〜8倍をつけているオールトゥービューティフル(父サドラーズウェルズ)は、英愛ダービーに加えてキングジョージも制したガリレオの全妹。3歳デビューでメイドン、準重賞と2戦2勝と、底を見せていない。
各社9〜13倍をつけているのが、ジャパンCなどG1・6勝のピルサドスキーの半妹で、日本のG1勝ち馬ファインモーションの全妹にあたるバラカ(父デインヒル)。8日にリングフィールドで行われた準重賞オークストライルSで初勝利を挙げたという、厩舎期待の素質馬である。
直前に来て、“満天俄かにかき曇り”といった様相を呈しているのが、6月5日(土曜日)に行われる英ダービーだ。と言うのも、ウィンターフェイバリットで今季もここまで2戦2勝のイェーツ(父サドラーズウェルズ)に、ここへきて不安説が流れ出したのである。今季初戦のG3バリーサックスSを10馬身差で制したところまでは全てが完璧だったイェーツ。ところが5月9日の愛ダービートライアルが、勝つには勝ったものの2着馬との差はわずか1.1/2馬身。更に21日の追いきり後に、歩様に乱れを発症。当初はコズミと見られていたのが、場合によってはもっとシリアスな疾病の可能性もあるとして、目下再検査している状態だ(23日現在)。
そんなわけで、一時はイェーツが抜けた本命だったオッズも、現在はイェーツを含めた三つ巴状態となっている。
各社4倍から5倍のオッズを掲げているのが、英2000ギニー2着馬スノウリッジ(父インディアンリッジ)。鞍上フランキー・デットーリにとって、悲願の英ダービー初制覇がかかっている。
同じく各社4倍から5倍のオッズを掲げているノースライト(父デインヒル)は、12日にヨークで行われた代表的プレップレース、G2ダンテSの勝ち馬。母ソートアウトは4000mのG1カドラン賞勝ち馬と、スタミナはばっちりだ。
イェーツとともに“風雲急”の要因を作ったもう1頭が、冬の前売り2番人気だったアメリカンポスト。こちらもシーズン初戦の準重賞、2戦目のG3を勝ったところまでは完璧だったのだが、16日の仏2000ギニーは完璧に負けていたレースだった。ゴール前で勝利目前だったアンオニオピウスが気の悪さを見せて突然内埒に激突。瞬時にして圏外に去ってくれたおかげで棚ぼたの勝利を収めたが、陣営の評価は辛口だ。鞍上リチャード・ヒューズは、固めだったこの日のロンシャンの馬場を苦にしていたとコメント。今年の英国は雨が少なく、英ダービーも固い馬場が予想されることから、出否そのものを保留している状態となっている。
ダービーは5月31日に追加登録のステージが設けられているが、4月21日のブルーリバンドトライアルを15馬身差で圧勝したゴドルフィンのブルラン(父デイラミ)、13日にヨークで行われた準重賞グラスゴウSを20馬身差で制したカリッド・アブドゥーラ殿下のデイフライト(父サドラーズウェルズ)、ハムダン殿下所有のアメリカ調教馬マスタンファー(父アンブライドルド)など、追加登録を取り沙汰されている大物も多く、直前まで目が離せない状態となっている。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。