競馬が文化として定着するために

2004年06月23日(水) 12:15

 毎週日曜日、いずれかの競馬場で実施されている名馬メモリアルレース。時折、昭和30年代前半の名馬が登場し、その紹介の仕方に苦慮しています。

 本当に競馬が文化として定着するためには、今年のように、かつての名馬について語り継ぐ場があるべきで、例えば、プロ野球などは多くのファンがそれを実践しています。

 先日、スポーツ紙の新聞記者が述べていたのですが、先輩記者の中でも知らない名馬がかなりいるんですよ。普段、目先の取材に追われていて、かつての競馬について語り合うことがないということもありますが、いろんなエピソードを知っておきたいのでゆっくり話を聞かせて下さいと。

 そう言えば、中山競馬場のエレベータの中で若い記者仲間がしゃべっている話を耳にしてびっくりしたことがありました。

 かつての日本騎手クラブ会長で1000勝ジョッキーだった現調教師の現役時代のことを全然知らないと言うのです。引退して20年もたつと、かつての名ジョッキーも忘れられてしまうものかと、いささかショックでした。

 当然、その果敢なプレイが競馬を変えたと言われたことなど知る由もないでしょう。

 人も馬も、ただ消耗されていくだけなのでしょうか。これは、とても危険なことです。

 作家の浅田次郎さんの馬が、先日福島で走っていました。ちょっと前には、亡くなった藤島泰輔さんも馬を持っておられました。

 さらに昔は、歌舞伎の中村歌右衛門丈、俳優の市川雷蔵さんなども馬主としてよく競馬場にお出になっていました。

 こうした様々な分野の方々が馬を持ち、馬談義に花を咲かせたこともあり、それは、放送や新聞にも登場していたものです。そして、そこにはいつも名馬の思い出も語られていました。日本には日本なりの競馬の歴史があって、それを誇りに思う気持ちが、この先の競馬を豊かにしていくものだと思うのですが。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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