「日高の常識は世界の非常識」について

2004年07月27日(火) 21:11

 馬主、コラムニストでもある経営コンサルタント会社社長の堀紘一氏が、「週刊ギャロップ」8月1日号に「怒りの緊急提言・馬事正論」として表題の見出しをつけた一文を発表している。去る7月20日、静内で開催された「セレクションセール1歳」における体験、見聞についての激烈な批判文である。詳細は同誌をご覧いただくしかないのだが、氏はこの日のセリについて次の三点を「さまざまな不透明な出来事」の例として挙げ、強い口調で「日高のせりの非常識」と指弾する。その三点とは「目玉のSS産駒、突如スクラッチ」「ハンマーが鳴った後のセリ続行」「横行するマル市狙いのデキレース」というものである。

 「SS産駒スクラッチ」に関しては、私自身詳細を把握していないため、ここでのコメントは控える。堀氏もSS産駒についてより、他の二項目「ハンマーが鳴った後のセリ続行」「横行するデキレース」の方により主張の力点を置いているようなので、これらの問題に絞って話を進めたい。

 問題の馬は上場番号32番「リスクフローラ2003」だったという。父サクラバクシンオーの牝馬で姉にオトハチャン(3勝・現役)がいる。堀氏はこの馬を、購入予定馬の1頭としてチェック済みだったらしく、予算も1000万円まで見込んでいたとのこと。まったく普通通りにセリが始まり(500万円よりスタート)、堀氏は「610万円で落札できた」ものとばかり思っていた矢先、「ハンマーが鳴った0秒4から0秒5後」のタイミングで「650万円」という声が上がり、それを受けて鑑定人が「どうでしょう。私にはお声とハンマーが同時」に思えるので、「セリを再開させていただきます」と言いセリが続行してしまった、というのである。堀氏はその後「ふた声、680万円まで声を出して降りた」そうだ。1000万円まで予算を見込んでいたはずのこの馬を更にセリ上げる意欲を失ったのは、おそらく「ハンマーと同時に上がった650万円の声」を鑑定人が取り上げてしまったことに起因するものと思われる。

 結果は690万円で、「591番のお客様が落札」とのアナウンスがあり、「変だな」と思った堀氏は事務所で、落札者が販売申込者だと確認した後、セリ場裏手の電光掲示板を見に行くと、なぜか購買者は86番の福島県在住のとある馬主に変更されていた、という。

 「これは二重におかしい」と立ちすくむ氏に見知らぬ牧場主が近づいてきて「この取引はデキレースだ。どうせ先生には買えなかったのだから諦めなさい」と慰められたのだと堀氏は書く。更に「最近はマル市手当てが減額されたので減ってはきたが、日高のセリでは毎度のこと。それが日高だ」といつのまにか集まってきた「三、四人の牧場関係者」から教えられたことで氏は「30年間眠っていた新聞記者魂が蘇ってきた」と続ける。

 主催者である日高軽種馬農協の荒木正博組合長は氏に対し「ハンマーと声は同時だった」と言い「セリとはハンマーが鳴った瞬間、その直前に声が上がったとしても落札が世界の常識」と主張する堀氏に「(ハンマーと声が)同時は続行というのが日高の慣行」だと答えたという。そして「591番が86番に変更されたのは女子職員の単純ミス」である旨のコメントも付け加えたそうだ。

 怒りの収まらない氏は「日高の常識は世界の非常識」であると断じ、「(こんなことだから)初めて日高で馬を買おうという、まともな馬主が逃げて行き、馬産地不況が続いてきたのである」と手厳しく批判している。

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 以上が堀氏の挙げた三点のポイントのうちの二点に関わる部分なのだが、確かにこれを読む限り、氏の側には何ら過失がなく、主張は一貫している。ただし、である。これが当該馬の生産者(販売申し込み者)の立場から見ると「まったくの誤解」であり、「デキレースなどではない」という反論が返ってくる。

 生産者Y氏は次のように振り返る。「この馬は500万円よりスタートし、最初は私が10万円ずつ価格を吊り上げて行った。リザーブ価格までは販売申込者もセリに参加することが認められているから。堀氏がセリに参加してきたのは確か580万円くらいからではなかったか。そのあたりから私と堀氏との競り合いになり、私は600万円で降りた。その後610万円と堀氏がコールしてそこで落札されたと思っていた矢先、いつの間にか販売申込者用のスペースにI調教師と馬主のU氏が入ってきていて、U氏が『650万円』と声をかけた。タイミングは確かに微妙なものだったが、私は明らかなアウトだとは思わなかった。それより何より、なぜこの二人がそんなところに入ってきたのか、ということの方が気になった。本来、購買者が入れる場所ではないはずだから。『650万円』という声を鑑定人に取り次いだのは軽種馬農協の職員。現在の市場では、あちこちに購買者からの声を取り継ぐ補助的な係員を配置している。なぜならば、鑑定人一人でセリを進行していた時代にはサインを見落としたり、価格を告げる購買者の声を聞き逃したり、というミスが度々あったからだと思う。当然、リザーブ価格までは販売申込者もセリに参加できるため、私のいるスペースにも軽種馬農協の職員が配置され鑑定人に価格を取り継ぐシステムになっている。

 I調教師とU氏がいつそこに入ってきたのかは分からないが、セリが始まったときにはいなかったから、おそらく途中からのことだと思う。I調教師とは面識があるし、現にこの馬の姉も入厩予定だから縁は浅くない。だけど、比較展示の時にも『この馬を競ってもらえるかどうか』などは分からなかった。で、販売申込者用のスペースでいきなりU氏が声を上げたので私は驚きましたよ。だけど、軽種馬農協の職員はそのままU氏の声を代弁し続け価格は690万円まで行き、そこでハンマーが鳴った。ところが鑑定人が、たぶんそんなところ(販売申込者用のスペース)に購買者がいるとは思わなかったらしく、しかも、リザーブ価格を700万円にしていたので、690万円を販売申込者の声だと勘違いしたようだ。591番と発表されたのはそういう経緯だと思う。ところが、間違いに気づいた私はすぐ『違うじゃないか』と抗議したため、U氏の86番に訂正されたというのが本当のところです。

 じゃあ、なぜI調教師とU氏がそんな紛らわしい場所に迷い込んできたのか。それはたぶん、私の馬のすぐ前にSS産駒の上場が予定されていたにもかかわらず欠場になったので、会場内のどこかにいた二人は予定より早まった私の馬の上場に気づいて慌てたのだと思う。それでとりあえず駆けつけてきて手近なところにあるドアから中に入ってきたのではないか。本来ならばそんなところに購買者が入れるわけはないのにどうして入れてしまったのか。まして、そこでセリに参加するなどというのは普通はあり得ないことなんだけれど。

 デキレースでも談合でもない、とはいえ、セリ終了後、この場所から三人が揃って出てきたのを見た誰かが『怪しい』と感じたとしても無理はないかもしれない。しかし、仮に本当にデキレースだとしたら、わざわざI調教師もU氏もこんなところに入ってセリに参加しないはず。逆に、何もやましいところがないからこそ、紛れ込んでしまった販売者エリアで、そのままセリに参加してしまったんだと思う。」

 これが生産者であり販売申込者のでもあるY氏のコメントである。この場合は、完全にY氏もむしろ「被害者」である。たまたま予想外の場所に紛れ込んできた二人がそのままセリに参加したところからボタンの掛け違いが始まった、と私は思う。

 Y氏とともに、I調教師、馬主のU氏にも堀氏から「疑惑の目」を向けられていることに変わりはなく、いずれ何らかの反論をしていただきたいところだ。でなければ、生産者Y氏はあらぬ疑いをかけられ、「談合疑惑」がそのまま「既定の事実」にされてしまうからである。

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 最後になるが、「ハンマーと声が同時の場合はセーフ」というのは、何も日高の市場固有のものではない。「セレクトセール」でもある話だ。

 また堀氏は「再上場馬にもマル市の特典が得られる」ことに疑問を投げかけているようだが、これとて日高のセリ独特のものではなく、「セレクトセール」でも散見することである。むしろ、販売申込者の希望価格から値引きさせられていること、そしてそれでも泣く泣く売却せざるを得ない私たちの苦衷をご理解いただきたいと私は思う。

 「ハンマーか声か」の問題は、微妙だが、国際ルールに反するとはいえ、長年この方法で(同時セーフ)セリを続けてきた背景には、日高の生産者のため、というよりも、市場でセリに参加している購買者に配慮した結果ではないか。つまりコールを却下された購買者が「同時だったので取り上げて欲しい」と要求し、受諾された例があって、いつのまにかそれが「同時セーフ」ルールとして確立したのだろうと推測できる。

 国際ルールに反する、かも知れぬ。だが、元々、日本の競馬そのものが国際的には「おかしなところ」だらけではないか、というのは言い過ぎだろうか。さしずめ、このハンマー問題は、日米の野球におけるストライクゾーンの違いに通じるようなもののように思えるのだが。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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