週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2004年08月03日(火) 21:02

 02年の全米年度代表馬アゼリ(牝6)が8月1日、ニューヨーク州サラトガ競馬場で行われたG1・ゴーフォーワンドHに優勝。デビュー以来の収得賞金が356万9820ドルに到達し、これまでスペインが持っていた記録(354万542ドル)を破って、北米における歴代牝馬最高賞金獲得馬となった。昨年9月のレディーズシークレットBCHで破れ、継続中だった連勝記録が“11”で途切れたアゼリ。その後、引退を主張する女性調教師ローラ・ド・サルー師と、現役続行を望む馬主マイケル・ポールソン氏が対立し、大騒動になったことは皆様の記憶にも新しいところだろう。

 サルー師が、アゼリの左前脚は屈腱炎を起こしており、これ以上の現役続行は命取りになると主張したのに対し、ポールソン氏の依頼でアゼリを診察したケンタッキーの複数の獣医が「アゼリの左前脚には炎症の兆しも後遺症もなく、腱組織は完全に健康な状態にある」と診断。結果、ポールソン氏はアゼリを含めてサルー厩舎に預けていた現役馬を全て引き上げ、かつて数々の栄誉を分かち合った両者は完全に決別。アゼリはウェイン・ルーカス厩舎に転厩して、レースを続けることになった。

 アゼリの今季緒戦は、4月にオークローンパークで行われたG1・アップルブロッサムHだった。ここをアゼリは1.1/2馬身差で快勝。このレース3年連続制覇を達成した。この段階で、アゼリの屈腱炎を巡る論争はポールソン氏側の完全な勝利に終わり、「転厩・現役続行」のニュースが流れた時にはどちらかと言えばサルー師側に同情的だったファンやマスコミも、馬主側の判断が正しかったと認めざるを得なくなったのである。ところが、滑り出しこそ順調だったアゼリはその後3連敗。

 G1・ヒューマナディスタフHで2着に敗れた時には、7ハロンという距離が短か過ぎたことが原因とされ、G1・メトロポリタンHで生涯で初めて連対を外した時には、牡馬の一線級との戦いでは大敗もやむなしとされたが、無様だったのが前走6月19日のG1・オグデンフィップスHだった。牝馬限定戦のここで、見どころのないレース振りに終始して大差の最下位(4頭立ての4着)に惨敗。レース後、鼻出血を起こしていたことが判明した時には、『アゼリ限界説』が浮上。マスコミやファンの間からは、これ以上現役を続けては馬が可哀相との声が上がり、馬主ポールソン氏は再び窮地に立たされたのであった。そういう意味で、ゴーフォーワンドHはアゼリ陣営にとって背水の陣だったのだ。それだけに、1分47秒86というステークスレコードを樹立しての完勝は、陣営にとって大きな意義のあるものだったと言えよう。アゼリの次走は、8月27日に同じサラトガで行われるG1・パーソナルエンサインHが予定されている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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