2016年03月01日(火) 18:00 85
笠松での落馬や期待の3歳馬について、はてはファンへの謝罪(!?)までお届け!
橋口厩舎の“ラストラン”となった先週は、残念ながら有終の美とはなりませんでしたが、宣言通りの男泣きで、橋口師に感謝の気持ちを伝えた小牧騎手。13年間の思いが十分に伝わってきた1日でしたね。その舞台裏については来週じっくりと振り返っていただくとして、今回はユーザーからの質問を皮切りに、笠松での落馬や期待の3歳馬について、はてはファンへの謝罪(!?)まで、盛りだくさんの内容でお届けします!
(取材・文/不破由妃子)
小牧 今は交流重賞に一緒に行くようなお手馬がおらんもんね。5、6年前には、アドマイヤスバルとかでよう行ってましたやん。そういう馬がいて、声を掛けてもらえれば、もちろん行きますよ。普通の交流戦はあんまり行かんけどね。
──この2月には、めずらしく笠松の交流戦に行かれてましたよね(クリノバトゥーラ)。でも残念ながら、競走中止になってしまって…。
小牧 そうそう、可哀そうやったわ。乗る前に、「ちょっと左前が硬いけど、大丈夫やから」って言われたんですわ。ちょっと嫌な予感はしたんやけど、返し馬では全然そんな素振りを見せんかったから、大丈夫やなと思ったら、案の定、左前がね…。その脚で僕の後ろをずっと付いてこようとして。可哀そうで見てられんかった。
──そうだったんですね。小牧さんは大丈夫でしたか? すぐに起き上がったので、ホッとしたんですが。
小牧 うん、僕はどうもない。あれね、馬が止まりかけたから大丈夫だったんですわ。あのまま普通のスピードで走っていたら・・・
小牧太
1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。2024年には再度園田競馬へ復帰し、活躍中。史上初の挑戦を続ける。