週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2004年09月14日(火) 12:56

 過去2年間でおよそ80レースにおいて不正が行われていた疑いがあるとして、関係者16名が警察に身柄を拘束され、事情聴取を受けてから2週間が経過したが、報道を見る限り『疑惑』の中心にいるのはマイルス・ロジャースという男であることは間違いなさそうだ。

 ヨークシャーに本拠地を置く『プラチナム・レーシング・クラブ』という名称の共同馬主組織の創設者で、今年春までクラブの運営を司っていた男である。もっとも、現在は競馬場に足を運ぶことを禁じられている身だ。ベット・エクスチェンジで、クラブ所属馬が『負ける』方に賭けるという違反行為を犯し、この春ジョッキークラブから2年間の競馬活動関与停止処分を受けたからである。

 クラブのメンバー数は、昨年末の段階で500人。現役馬は16頭いたから、クラブとしてはそこそこ成功していた部類に入っていたはずだ。ところが2002年12月頃から、クラブ所属馬を巡ってオッズが不可解な動き方をするケースが続発。疑惑の目を向けられることになったのである。

 例えば03年6月、ウォルヴァーハンプトンの条件戦を連勝してソールズベリーの条件戦に出走したクラブ所属馬ニメロの、ベットフェアにおけるオッズが直前で急降下。このレースでニメロは20頭立ての13着と大敗したのだが、レース後のニメロが跛行しながら引き上げてきたため、ちょっとした問題となった。すなわち、ニメロが実は脚が痛いことを知っていた関係者がいて、ひと儲けしたのではないかとの疑いが持たれたのだ。

 あるいは03年10月、過去4戦すべて入着を果たしている堅実なクラブ所属馬ウーマグーが、レッドカーのハンデ戦に出走。相手が強くなったわけでもなく、斤量が重くなったわけでもなかったため、そこそこの人気になることが予想されていたのだが、そのウーマグーの単勝オッズが直前になって6.5倍から10倍に急降下。結果としてウーマグーが16頭立ての12着と大敗したため、「裏で何かあったのではないか」と勘繰られることになった。

 そんなことが1年余りの間に6回重なったため、ジョッキークラブの調査が入り、その結果、いずれのケースにおいてもマイルス・ロジャースはベットエクスチェンジで自ら運営するクラブ所属馬が負ける方に賭けており、大いに潤っていたことが発覚したのである。

 それどころか、ベットフェア社が提出した記録によると、03年5月から04年3月までの11カ月間に、マイルズ・ロジャーズがベットエクスチェンジを利用した回数は、クラブ所属馬以外への賭けを含めて59回。このうち51回は指名馬が負ける方に賭けていたのだが、なんとこのうち49回においてロジャーズの指名馬は敗退して馬券は的中。96%という驚くべき的中率を誇っていたのである。

 今回事情を聴かれた唯一人の調教師カール・バークは、プラチナム・レーシングの馬を3頭管理している、クラブにとってのいわば主戦調教師的存在である。更に、事情を聴かれた3騎手のうちダレン・ウィリアムスはバーク厩舎の主戦騎手だ。ロジャーズが儲けたレースには、バーク厩舎所属馬でウィリアムスが騎乗した馬が頻繁に登場することから、当局が重大な関心を寄せるのも当然であった。

 更に、ロジャーズがベットエクスチェンジで指名した延べ59頭のリストに、騎乗者として複数回登場するのがキーレン・ファロンとファーガル・リンチであったため、両騎手も事情を聴かれることになったようだ。事件は果たして今後どんな展開を見せるのか。これ以上悪いニュースが聞こえてこないことを祈りつつ、見守るほかはない。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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