2016年06月06日(月) 12:01 60
▲今月は、騎手時代“コバジュン”の愛称で親しまれた小林淳一教官が登場
先月の「おじゃ馬します!」に登場した藤田菜七子騎手。愛らしい素顔とプロとしての覚悟を見せてくれました。今月は菜七子騎手のルーツを探るべく、JRA競馬学校へ潜入。お話してくださるのは、騎手時代“コバジュン”の愛称で親しまれた小林淳一教官です。学校時代の菜七子騎手のこと、即戦力育成のための学校改革、騎手から教官へ転身したご自身のこと、たっぷり話してくださいました!(取材:赤見千尋)
赤見 コバジュンさんが、今はコバジュン先生に! 教官になられて何年目ですか?
小林 騎手を引退したのが2012年の3月なので、5年目に入りました。
赤見 教官服がビシッと決まっていますね。体形は変わらないんじゃないですか?
小林 いや、3キロぐらい増えました。現役時代はわりと減量のない方でしたが、年を負うごとに燃費が悪くなってくるんですよね。
赤見 でも、5年で3キロなんて全然! やっぱり毎日馬に乗っているからですか?
小林 教官として馬に乗るのは、たまになんですよ。過程生に割り振って、余った馬がいたら乗るという。だからたまに走路で乗ると、筋肉痛になります。
赤見 普段は使わない筋肉ですもんね。5年目ということは、野中騎手たちの期から見ているんですか?
小林 そうです。最初に見たのが野中たちの31期。この期はもちろん、教えた子たちというのは、デビューしてからも気になります。騎乗数や成績を、毎週毎週見ちゃいますね。
赤見 デビューしてからも、アドバイスしたりするんですか?
小林 多少はしますが、デビューして2年も3年も経つと、プロとして乗れている自覚も出てくると思いますのでね。教官っぽくではなく、「あれはどうだったの?」とか、そういう聞き方をするようにしています。
▲千葉県白井市にある競馬学校、3年間の学校生活を経て晴れてプロの騎手に
赤見 今年はなんと言っても藤田菜七子騎手が大きな話題ですが、この菜七子フィーバーは想像してましたか?
小林 ある程度は注目していただけると思いましたが、まさかこれほどとは。それに、心配もしていたんです。デビューの前から注目されたので、蓋を開けてみて「なんだよ」って言われる可能性もあります。僕も騎手だったので、持ち上げて一気に下げられる怖さはよく知っていますから。もしもそうなってしまったら、藤田のメンタルがどうなってしまうのかというのが一番心配でした。でも、今のところ順調なので、ホッとしています。
赤見 周りに可愛がられるような性格ですもんね。技術に関してはいかがですか?
小林 技術はね、まだまだだと思います。地方でもよく乗せていただいていますが、地方の方はみなさん藤田に優しいと言うか。よく褒めてくださるんです。でも、中央で多頭数のレースになったときなんかは、まだまだ足りないところがありますね。
赤見 川崎でのデビューや中央デビュー、高知遠征にも小林教官がついて行って、一緒に走路を歩いたり、返し馬でアドバイスをされてましたよね。ああいうサポートはいつもされるんですか?
小林 毎年、新人のデビュー1週目、2週目というのは、各競馬場に教官が見に行くんです。でも、ここまでは初めてですね。川崎は中央のデビュー前でしたし、根本調教師からのご要望もあって、行かせていただきました。川崎競馬の方がとても協力的で、一緒に回ってもらったんですけど、あの日は見ている方が怖かったです…。
赤見 怖かったですか?
小林 はい。関係者の方からいろいろなご意見をもらうんですよ。「川崎がデビューで大丈夫?」、「きついコーナーを回れる?」とか。そういうことを聞いていると、どんどん不安になりますね。
赤見 じゃああの日は、コバジュン先生も疲れましたか?
小林 疲れました(苦笑)。ほぼバレットのようでしたし。一番大変だったのは、間違いなく根本調教師ですけどね。でも、こういう経験は、怪我さえしなければプラスにしかならないと思います。根本調教師のご協力があるので、今の藤田があるのかなと思いますね。
赤見 地方でも騎乗経験を積める。新人騎手にこういう機会がもっと増えればいいなって思います。
小林 そう、そこなんです。どうしても、藤田だから乗せてもらえるというのはありますから。本当は同期の男の子たちも、同じような経験ができたらいいんですけど。「菜七子だけ特別でいいよな」っていう気持ちはあると思いますね。
赤見 菜七子騎手ですが、入学した頃と今とでは、雰囲気は違いますか?
小林 やっぱり違いますね。彼女が1年生の時は担当ではなかったので、見ていたくらいなんですけど、今ではすっかりたくましくなりました。よく泣きますけどね(笑)。
赤見 そうなんですね。女性騎手が久しぶりで、教える側として、気を遣った面はありましたか?
小林 入学当初から馬乗りの技術はありましたし、乗馬苑からの知ってる顔が2、3人同期にいたので、女の子だけど馴染んでいたとは思います。こちらも変に気を遣わないようにしてたんですけど。それでも、無意識に出ていたとは思います。
赤見 そうですよね。施設面でも、初めから女性に対応していたわけではないですし。
小林 「ここは藤田が使うからな」って、分けて使うように指示したんですけど、当の本人は気にしてなかったようなんですけどね(笑)。赤見さんはどうでした? 地方も女の子が絶対的に少ないでしょう?
赤見 私は初めの頃、同期ととにかく仲が悪くて。やっぱり、特別じゃないですか。女性だとトイレも1人で使えるし、お風呂の順番もない。坊主じゃないだけでも、気に入らなかったと思います。
小林 そういうのはありますよね。今考えれば、本当に些細な事なんですけど…。僕らは牛乳の量で大喧嘩してました。食事当番だと有利なので、「おまえの牛乳多いな」とか。
赤見 ご飯の盛り方でも、「あいつ、あんなに盛ってる」とか(笑)。
▲「ご飯の盛り方でも“あいつ、あんなに盛ってる”とか(笑)」
小林 そうそう。多いとは言っても、ほんのちょっとなのにね。その時期は、怒るところが小さい(笑)。まあでも、中学校を卒業したばかりでいきなりの集団生活。慣れない環境が余計にそうさせるんでしょうけどね。
赤見 どうしても外で発散できないから、目立つ人が気になってしまうんでしょうね。じゃあ菜七子騎手は、学校生活は順調に進んだんですね。
小林 生活面はそうですね。ただ、走路を乗り始めてから、壁にぶつかりました。実技でうまくいかないから「トレーニングしなきゃ」「補うために何かしなきゃ」「こうやらなきゃ」というのが多くなっていって。彼女の中で、いっぱいいっぱいになってしまったんですね。あの時はメンタル的にきつかったと思います。
赤見 そういうとき、教官としてはどう接するんですか?
小林 これは正直、難しいですね。悩んでるので、頭ごなしに怒るわけにはいかない。こっちは「藤田のため」と思って言うんですけど、藤田は「嫌だ嫌だ」ってなりますしね。その兼ね合いが難しいです。
赤見 わかってはいても、教官の言葉を聞く余裕がないんですよね。
小林 藤田も苦しかったと思います。でも、そこでなんとか持ち堪えてくれて、無事にデビューまでこぎつけました。それから3か月経って、ずいぶんとしっかりしてきたなと思っています。
赤見 日本中から注目されてますからね。すごいです。
小林 ただね、1回寝起きの時に電話をしちゃったことがあって。寝起きには電話しない方がいいですね…。
赤見 コバジュン先生に対しても(笑)?
小林 はい。相当疲れてたんでしょうね。返事しかしてなかったです。「ごめん藤田、タイミングが悪かった。僕が悪い」って思いました(苦笑)。
赤見 優しいですね。やっぱり、卒業したら優しくなるんですね。
小林 そうです。それまでは厳しいですから。
赤見 菜七子騎手もそうですけど、32期生はみなさん頑張ってますね。勝ち上がりも早くて。菊沢騎手が遅いように感じてしまったけど、全然遅くないですもんね。他の期と何か違うことがあったんですか?
小林 何か違ったかと言ったら、やっぱり女の子がいることじゃないですか。「藤田、藤田」というのをずっと見てきているので、「藤田よりも!」という心に秘めたるものがあるんじゃないかなと。
赤見 菊沢調教師の息子さん、木幡騎手の息子さん、注目されそうな要素を持っている子が多いわけですもんね。
小林 そうなんです。本当は注目されたはずなのに、藤田に全部持っていかれてる。だから本人たちは、「成績で見返さないと!」という気持ちが強いんだと思います。
赤見 ただでさえ負けず嫌いな子どもたちで、そこに1人いる女の子には絶対負けたくないってなりますよね。
小林 しかも当時から、藤田の取材が多かったんです。最初は「藤田ばっかり」って言ってたんですけど、ある教官が「おまえら!藤田がいるからおまえらも出られるんだぞ」って。それから変わりましたね。「藤田さん、ありがとう」みたいな。
赤見 素直ですね。菜七子騎手の存在が、いい相乗効果になってるんですね。
(文中敬称略・次回につづく)
JRA競馬学校では、平成29年4月入学の騎手課程生を現在募集中です。
願書受付期間は平成28年5月9日~7月25日(スポーツ特別入試制度利用者は平成28年5月9日~7月19日)。
詳細は以下のHPをご確認ください。(外部サイトへ移動します)
http://jra.jp/school/entry/jockey/東奈緒美・赤見千尋
東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。
赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。